ここのところ、会社の仕事は立て込むわ、AdSenseをはじめとする各種の申請は通らないわ、ランサーズの仕事もいくら応募してもまったく声がかからないわで、完全に落ち込んでいた時に見つけた一冊。 Kindle Unlimitedにラインアップされていたこともあって、衝動的にDL。寝る前には少しでもリラックスするためにコミックを読むことの多い私が珍しく、一気読み。もっとも、中身は半分コミックでしたけど(笑)。
著者細川貂々氏は『ツレがウツになりまして』という大ベストセラー作家。映画化された作品も観ましたが、私自身の体験と重ね合わせても、うつ病患者が発生した際の周りを取り囲む家族のリアルな姿が描かれていました。
標題の書は、貂々氏自身の性格分析と、精神科医水島広子氏との出会いで、頑なな精神が徐々にやわらいで、いい方向に向かう様子が描かれています。
ネガティブ思考クイーンを自認する細川氏
幼少時から、母親に素直な感情の発露を止められていたという貂々氏はそうした日常を送るうちに、「自分は喜んではいけないんだ」という固定観念を持ち、そこから「決していいことなんか起こらないし、他人から励まされるのも、それはそれで重荷で仕方ない」という精神状態が「普通」のことになってしまいます。貂々氏は自らを「ネガティブ思考クイーン」と名付け、いいことがあっても喜ばず、悲しいことや苦しいことがあると、他人の倍苦しむような生活を続けます。
この辺、私もよくわかります。「将来何があるかわかったもんじゃないんだから、たかだかこんなことで浮かれているんじゃないよ」というのは私の母の常とう句でした。いい成績を取ったって「上には上がいる」。悪い成績なんか取ろうものなら、それこそ「お前の価値なんか何もない」なんて言われるのはざらでした。貂々氏が「ネガティブ思考クイーン」なら私も「ネガティブ思考大名」くらいの強力な名を名乗ってもいいと思います(笑)。
今でこそ、「試験なんてのは一度で終わるもんじゃないんだから、いい気になって浮かれてないで、次も頑張るんだよ」という意味だったということは理解できるのですが、こっちだって思春期ど真ん中、そうでなくても過干渉気味の母親には常に苦しめられていました。しつこい性格の私は、いまだに、「あの時にあんなことを言われたけど、本当に殺してやろうと思ったよ」などと過去の傷を蒸し返したりもします。私は、浪人が決定した際に、東京の予備校の寮に逃げ出すことに成功しましたが、あのまま家で母親と面突き合わせていたら、おそらくかなりの確率で殺人事件を起こしていたと思います。それほど、当時の母親は鬼気迫っていたし、私も相当に意地を張ってましたからね(苦笑)。
「現状肯定のジャンヌ・ダルク」水島広子医師
さて、もう一人の著者水島氏は、貂々氏のそんなネガティブ思考クイーン状態を「改善」しようとはしません。むしろ、そうしたことは人間としては当たり前の状態であると「肯定」して、いろんなことが嫌いだったり苦手だったりすることを認めちゃいなさい。ということを貂々さんに勧めます。貂々さんは「え?」と大きな文字で思いっきりの疑問を呈しましたが、私も頭の中に思いっきり「え?」という文字を浮かび上がらせちゃいました。嫉妬、憎しみ、嫌悪、人間としてべつの人間とかかわって生きていく限り、こういう感情にとらわれることは仕方ない。そんなことを思う私はダメな人間なんじゃないのか?この考えが余分なんだそうです。
自分は自分で、ネガティブであっても仕方ない。でもそれを他人にそのままぶつけると人間関係に齟齬を生じますから、他人にはぶつけない。とにかく自分のありのままの姿を自分だけは許す。それでいいんだと思い、余計な人間関係はどんどん切っていく。
ああ、なんて自由な考え方だろう。劣等感もなにもかもが自分の一部。そしてその自分を全面的に認めてあげられるのも自分。親でも家族でもなく自分自身。対して期待せずに読んだ本でしたが、なにしろ気分が軽くなりました。自分が文筆業を目指そうとしているのは、会社組織の中で「出世」できなかった一種の「腹いせ」ではないのか、という自責の念を常に持っていたのですが、この本を読んで、仮に「腹いせ」があったって仕方ない。会社で出世できなかったのは事実だし、同期でも後輩でも私よりいい給料もらっているやつは一杯いて、やっぱりそういうやつらはうらやましい。でもそう思うのは自然なこと。妬みも怒りも抱えながら、私は私の道を行けばいい。改めてそう思わせてくれました。読みやすい本でしたが、内容は結構深いです。