脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

2025年私的十大ニュース+漢字一文字

私が勝手に毎年恒例にしているこの企画、「私的」とは銘打ってあるものの、実際は「公的」なお話もいくつか入る。さっそくカウントダウン形式で紹介していこう。

 

10位 巨人、ようやく勝率5割をキープしてCS進出も1stステージであえなく敗退

シーズン前から、あんまり期待できないよなぁ、とは感じていたものの、いざシーズンが始まってしまえば応援するのがファンというもの。しかしまあ、今シーズンはいろんなところで蹴っつまずいた。エースとしての働きを期待された戸郷はシーズン通して不調。ローテ投手として一本立ちを期待された井上も同じく不調。キャベッジや甲斐などの新戦力が序盤で働いた時は、行けるかなという期待も湧いたが、岡本が重症を負って長期離脱したら、打線に軸がなくなって得点力がガタ落ちした。中盤から終盤にかけて泉口が台頭してきたという好材料もあったが、今度は吉川が故障離脱。3番泉口、4番は日替わり、5番岸田のクリーンアップはいかにも迫力不足。こんな状態でよく3位を確保できたものだ。しかし下剋上などは望むべくもなく早々にCSで敗退してシーズン終了。来年も誰を4番にするのか不透明なままで、しかもドラフトでは投手偏重の指名。早くも不安だ。

 

9位 第二次エディージャパン2シーズン目のテストマッチは5勝6敗

昨季の4勝7敗からは文字通り一歩前進した。試合内容的にも、昨年よりは向上したように思える。まだまだ「超速」の理想には程遠いとは思うが、それでもただ右に左にボールを散らしていた「だけ」の昨季より、強度、精度ともに高まったのは事実。本当は3連勝して欲しかったウエールズには1勝2敗、NZ、南ア、アイルランドには大祭をつけられて負けたが、フィジーとの差は昨季より確実に縮まったし、豪州相手には、試合終了まで勝敗の行方がわからない接戦を演じることができた。そして最後のジョージア戦では本当にギリギリだったが勝利して、バンド2を確保。その結果、2027年W杯予選プールでの格上はフランス1国になった。あと2年でジャパンがどこまで変わることができるのか。4強入りが夢物語ではないことを2026年の戦いで示して欲しいものだ。

 

8位 新しいツールをいくつか導入

毎年この時期になると、翌年のカレンダーやらノートやらを用意するのだが、いざ用意するとそれだけで満足してしまい、結局白紙のままのページが残されたままという状態になる。一方で、今持っているスマホのポテンシャルを十分に引き出せていないのではないかというもどかしさもずっと持ち続けている。この二つを一気に解消する策はないかと色々考えた結果、たどり着いたのが、スマホでスケジュール、TO DO、ライフログを管理するという方法だ。おりしも、11月にほぼ日手帳のアプリもリリースされた。で、ミーハーな私はさっそくアプリをDL。これが結構続いている。11月は毎日記録したし、12月も今のところ1日も欠かしていない。その日の扉絵にするための写真を毎日撮っているくらいだ。ライフログはこれでよし。次は最も重要なスケジュール管理だが、これもネット検索してオススメされていたCOMO Bujoってアプリを導入した。いわゆるパレットジャーナル用のアプリで、紙ならパパッとメモれることを一々インプットしなければいけないというもどかしさはあるが、TO DOリストを作ってはムダ紙化させていた時に比べればはるかに明確にやるべきことが可視化されている。こちらも習慣化したい。

最後に、ノリで買ってしまったのが「大人のやる気ペン」だ。なかなかお勉強の習慣が根付かないので、とにかく何か変えようと思って買い求めた。要するに鉛筆の動きを記録する万歩計みたいなものなんだが、使い始めると、なんとか成果が目視できるようになるまでは勉強しようという気にはなる。残念ながらそれはまだ毎日の習慣にまではなっていない。せっかく買ったものをムダにするのは癪なのでなるべく毎日手にするよう心がけよう。

 

7位 近所の女子大の英会話サロンに参加、ついでに本を借りてくるというサイクルが出来上がった

拙宅の近所にある女子大で、一般の人を対象とした英会話サロンが開催されているというのが自治体の広報誌に載っていたのを当家の最高権力者様、世間的にいうところの女房が見つけて、知らせてくれたので、モノは試しと参加してみた。その女子大に勤めるネイティブの英語教師と、参加者とでただただ雑談を繰り広げるというのがその内容。下は小学生から、上は80代の大先輩まで。さまざまな属性の人々が集まり、とにかく身近なトピックスを英語で一所懸命に話す。まあ、何しろ言葉が出てこない。日本人の英語は聞き取りやすいし、先生方の英語もなんとか聞き取れはするのだが、いざ自分で何か喋ろうとすると、本当に言葉が湧いてこない。したがって、単語を切れ切れに並べるか、途中で日本語が混じる「ルー大柴構文」みたいなものが頻出した。英語学習を本格的に再開しようと思えた瞬間だった。サロンに出席するついでに女子大の図書館の利用申請をして、行くたびに何冊か本を借りてくるのも習慣化した。蔵書数はさほど多くないが、時折、あ、こいつは読もうと思って読んでなかった本だ、って発見があって、そいつはすかさず借りる。図書館って結構使えるな、と思ったので勢いそのままに県立図書館も利用者登録し、年末年始にかけて大量の本を借りてしまった。

 

6位 定期的に同窓会が開かれるように

世話好きな友人のおかげで、2ヶ月に一遍くらいの頻度で、中学時代の同窓会が開かれるようになった。半分は話中心、半分は歌中心の会だ。私は暇なので、今のところ皆勤。昔話に花を咲かせるのも、お互いの近況を語り合うのも楽しい。そしてなんといっても楽しいのがカラオケ会。文字通り同じ時間を潜り抜けてきた世代だから、何を歌っても、何を聴いてもピッタリくるのだ。元々私は歌は好きだが、田舎に引っ込んで、かつ休職してからはカラオケに行く機会が激減したので、その欲求不満を解消する場として大いに活用させてもらっている。最近では昔流行った演歌をいかに上手く歌うか、ということに注力している。しっかりポップスやらアイドルの歌を歌った後にド演歌っていうギャップは結構ウケる。

 

5位 左肩痛がおさまらず、今年も実戦復帰できず

ジジイチームへの実戦復帰は今年も叶わなかった。かかりつけの整体院の先生からは「そろそろ試合に出てみてもいいんじゃないの」とは言われているのだが、左肩の調子は上向かないし、何よりメンタルの問題でまだまだ復帰できそうにない。所属チームにも早くも来シーズンの休部を申し入れた。下半身だけはスクワットで鍛えてはいるものの、メンタル面を含めた「上半身」はまだ実戦復帰が可能なほどには回復していない。もしかしたら一生回復しないのかもしれない。ただ、希望だけは捨てたくないし、鍛錬もやめない。

 

4位 note開始

クラウドソーシングの案件募集で「note」専門のものがあったので、noteって一体ナニモノ?ブログとどう違うの?ってなことを素朴に疑問に感じたので、Kindle Unlimitedで読めるノウハウ本をざっと読んで、勢いで開始。ブログとの違いは今ひとつよく理解できていないが、私の認識としてはブログよりnoteの方が「現金収入」を得やすいってことが最大の違いだということだ。あとは操作性も若干noteの方が良いような気はする。自分自身の使い分けとしては、エンターテインメント系の読書と身辺雑事、映画などはブログ、グルメ系、ラグビー観戦、うつ関連(自己啓発書などの書評も含む)はnoteとすることにした。何しろ収入に結びつく文筆活動はどんどん増やしていく。会社に戻る気はほとんどないのだから。

note.com

 

3位 文筆業は低位安定

前項の最後の文章がここでも当てはまる。会社に戻る気がなく、それに代わる収入源として想定しているのが文筆業で、カネになるお話ならどんどん食いつこうとしているのが現状なのだが、なかなか案件が獲得できない。求人サイトからの企業への応募、クラウドソーシングサイトでの案件獲得もなかなかままならない状態が一年続いた。今レギュラー案件としてあるのは、卓球記事と大きな試合が開催される際のラグビー記事のみ。年間の収入は6桁にも届かない。飲み代にもならない、お話にもならない。求人サイトの登録もクラウドソーシングの方の登録も増やした。で、今日はクラウドソーシングの方の案件3件で面談ないしセミナー受講の予定。とにかく今はチャレンジあるのみ。

 

2位 姪っ子ちゃん1号のボーフレンドに嫉妬

今年5歳になった姪っ子ちゃん1号は元気一杯。会うと毎回目一杯の元気をぶつけての遊びをせがんでくるので、バカ叔父ちゃんと叔母ちゃんは嬉しくもシンドい時間を過ごすことになる。まあ、こんな状態もあと数年だろうから、今のうちに目一杯可愛がっておくことにする。今年の夏、姪っ子ちゃん1号が通う保育園で、夏祭りを模した催しがあった。くじ引きとかヨーヨー釣りの模擬店が出て、親と一緒にそれをめぐるという他愛無いものだが、お子ちゃまたちには人気のイベントらしい。姪っ子ちゃん2号の世話で家を開けられない義姉の要請で付き添って参加。姪っ子ちゃん1号は男女問わない人気者のようで、あちこちから名前を呼ばれてはそっちにダッシュてのを繰り返すので、ついていくのに必死。文字通り汗だくになった。そうこうしているうちに姪っ子ちゃん1号の本命彼氏登場。おっとりとした美男子だが、よちよち歩きの妹の面倒をしっかりみたりする優しい子。気がつくと二人で寄り添ってしっかり彼氏彼女している。微笑ましくあったが、軽く嫉妬を覚えてしまうバカ叔父ちゃんだった。姪っ子ちゃん1号はその彼氏くんを含む4人の男子と文字通り保育園中を駆け回っていた。いつまでも人気者でいてくれよ。

 

1位 姪っ子ちゃん2号誕生。スクスクと成長中

2月に姪っ子ちゃん2号が誕生。予定より2週間ほど早い出産だったが、今のところ特に目立った障害なくすくすくと育っている。今月でちょうど生後10ヶ月だが、すでに体重が10kgを超え、身長も他の同じ月齢の子と比べて高いそうだ。ジャンボな赤ちゃんで抱くとずっしりと重いのだが、それでも手を離したら一気に崩れ去ってしまうような儚さを持った存在だ。外の風景を見るのが好きらしいので、抱っこするたびに外の風景を見せるために窓の近くに行くのだが、その際の外を一心に見つめる眼差し、かすかに聞こえる息遣いがたまらなく可愛い。このままずっと抱っこしていたいくらいだ。五十肩という現実がそれを許さないけど(泣)。クリスマスプレゼントにはファーストシューズを贈った。最近では歩行器で驚くほど素早い動きを見せるようになった姪っ子ちゃん2号。頭が重くてハイハイするのは苦手のようだが、健康に育ってくれればそれだけでいい。バカ叔父ちゃんのバカは2倍になった’。

 

今年の漢字「惑」

今年は何一つ定まらなかった一年だった。文筆の方に進展があったわけでもなく、かといって会社に戻ろうって気にはなれていない。会社からもらえるお金の制度を理解していなかったせいで慌てたこともあったし、母の無神経な言動に強い憤りを感じたこともあった。何もやる気になれなくて寝込んだこともあったし、ゲーム中毒だった時期もあった。ちょっとした楽しみもいくつか見つけたし、姪っ子ちゃん2号の誕生という大きなトピックスもあった。そろそろ60に手が届く歳だというのに惑ってばかりの一年だった。来年はなんとか「これ」と信じられる道を進みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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KGBを退治してやった話

最近私はfacebookで「自分のための拝借貼り付けシリーズ」として、ネット上にある気になった言葉を引っ張って掲載するという投稿を行なっている。

 

で、先日↑の言葉を投稿したところ、大変無礼なコメントが入った。このコメントを入れた人物を仮にKGBと呼ぶことにしよう。KGBと言ってもロシア大統領のプーチン氏が、旧ソ連時代に所属していた諜報機関ではない。京都・ゲストハウス・BBAの略だ。本人のfacebookのページを閲覧したところ、プロフィールに京都で女性限定のゲストハウスを運営しているとの情報があったためだ。

 

このKGBは、「努力しないほうが人間は伸びる」という謎理論を振り回した上で、私に

「おたく、文書いて食うてく言うてて、受け売りではあかんわなぁ。」という超上から目線のコメントを入れてきやがった。まずこの段階でブチギレた。

どんな人物か見てやろうと、facebookをのぞいてみたら、なんのことはない、こいつのページも他人からの借り物の言葉のオンパレード。こいつがオリジナリティーの塊のような素晴らしい投稿をしていたのならともかく、やってることはとても他人様に説教垂れられるようなものではない。

というわけで、「他人の受け売りではあかんとか言っときながら、てめえのやってることだって借り物そのまま貼り付けてるだけじゃねーかよ。それに接客業のくせにいきなり他人様をおたく呼ばわりするとは何事だ。不満があるのなら山奥にでも行って吠えてろ。喧嘩ふっかけるような真似すんじゃねーよ」という内容をかなりソフトに書いて返信してやった。

KGBからの返信の要約

「おたくは京都では普通に使うので、失礼に当たるとは思わなかった。喧嘩を売る気もなかった。欲求不満があったわけでない。接客業は生業ではない。現在住んでいるところはすでに山奥だ」

一見謝っているように見せかけながら、最終的にはこちらの言葉尻を捉えておちょくってやろうという意図が見え見えの胸糞悪い返信だった。

 

なお、KGBの最初の投稿をfacebookの運営に送ったところ「コミュニティ規定に反する投稿」だと判定されてfacebookとして正式に削除するという連絡が来た。その前に見るたびに憤りを感じてしまうようなコメントだったんで私個人として削除してしまった。故に、KGBのコメント文面の紹介は私が覚えている内容の要約になる。

 

さて、ここで京都に所縁のある方に伺いたいのだが、京都の方は、初対面の人間をいきなり「おたく」呼ばわりするのだろうか?観光、仕事含めて何度も京都には行ったし、京都出身の知り合いも何人もいるが、一度も「おたく」などと呼ばれた記憶がない。KGBは運営しているゲストハウスでの接客に際しても客を「おたく」と呼ぶそうだが、私ならそんな宿には泊まりたくない。KGBにそう言ったら「ウチは女性限定です」とかまたムカつく返信が来そうだけど(苦笑)。仮にKGBの住んでいる地域では普通のことであっても、いきなり「おたく」呼ばわりされたら気分を害する人が少なからずいるということは接客業に携わる者なら「常識」として知っておくべき事柄だと思う。

 

またKGBは私がコメントを書いてくれた人に反応してこなかったことにも文句をつけてきた。コメント入れてもらったら返信するのが「人の道」だと主張してきたのだ。これには一理あるが、この貼り付けシリーズはあくまでも自分が心がけようとする言葉を貼ったものであって、「自分の言葉」ではなく、「自分の言葉」でないものへのコメントに対して軽々には答えを返せないというのが私のスタンスだ。で、私の考えに反発を覚えるというのなら、別に今後見にきてもらわなくて結構、と返信したところ「見ないようにはしますが、私は記憶力が悪いので見ないとは断言できない」という返しが来た。何が喧嘩を売ったつもりはない、だ。思いっきり人の神経逆撫でするようなこと言ってきてるじゃねーかよ。

 

再度ムカつきを覚えたので、最初のコメントに対する皮肉をたっぷりと込めて

「あなたはずっと努力して来なかったせいで、自分の言動がどれだけ他人を不快にするか、自分の置かれた言語環境がどれだけ特殊なものだったが理解できなかったのでしょうね。今後はせいぜい「努力」して他人を不快にしないためにどういう発言をすべきか学んでください。何もせずにあなたが成長するなどあり得ません」というど正論をかましてやった。

これには流石のKGBも堪えたようで、持ち前の厚顔無恥さをかなぐり捨てて「気が済みましたか?これがあなたの努力の成果なのですね。」という捨て台詞を残して逃走し、ブロックしてきた。別に喧嘩に勝とうと思って文章修行してきたわけではないが、書いた文章で、読み手に的確にこちらの意図を伝えることができたというのは確かに努力の一つの成果ではある。

KGBよ、言い訳が続かなくなって逃げるくらいなら、最初から偉そうな口叩くな。まあ、こちらからは二度と関わろうとは思わないから、京都の山奥でもどこでも籠って、自分の世界の中だけで生きてろ。

 

【追記】

Threadsで「京都に所縁のある方にうかがいます。京都では初対面の方を「おたく」と呼ぶのが普通なのでしょうか?ちょっと前にfacebookで絡まれたとてつもなく無礼なBBAが京都では「おたくと呼ぶのがふつうだ」などと、とぼけたことをぬかしやがったので確認させて下さい。」

という質問を投げかけたところ、京都ならびに近畿地区ではそれなりの人が初対面の人に「おたく」と呼びかけることがわかった。ただし、多少なりとも丁寧に言いたいときは「おたくさん」、「おたく様」となるようでもある。その他関東でも使うというご意見もあり、年代によって変わるというご意見もあった。結局、一概には括れないということがわかった。勉強させていただきました。さらに「BBA」という言葉に過剰反応してくる、京都人を一身に背負ったと勘違いされているお上品なおば様から噛みつかれもした。全くどこに地雷が潜んでるかわかったもんじゃない(笑)。

 

 

 

企業と「文人墨客」との幸せな関係が生んだ一冊 「シャープさんのSNS漫画時評 スマホ片手に、しんどい夜に。』読後感

 

何度も繰り返し述べているように、私は文筆業を生業とすることを目標に、日々いろんなことに手を出している。成果は徐々に現れつつあり、現在週1の卓球記事連載1本と、不定期ながら月に2本程度のペースでラグビー記事を書いているが、収入はといえば、月にせいぜい1万円。これじゃ生業どころか、月々の書籍代にも全く足りない。というわけで、手当たり次第の仕事の口への応募の他に、何かやるべきことはないかと、いろいろ考えてみた。その中で、行動の候補に上がってきたのが、どこかの教育機関で文筆業について学び直すこと。そしてその中の一つの選択肢としてリストアップされたのが京都芸術大学の大学院の文芸領域への入学。過日、その入試説明会というかPRのためのオンライン講座に参加したのだが、その際に講師の一人として紹介されたのが、標題の書の著者山本隆博氏。総合電器メーカーSHARPSNS運用担当として、主にXでの発信を続けたところ、その内容が次々と話題になり、今や「シャープさん」という名称のインフルエンサーとして、世間にそれなりに影響を及ぼす人物になった。

 

山本氏ご本人は、自身の投稿がここまで世間に受け入れられたことに関し、戸惑いを感じているようだ。講座の際にもそう話していたし、標題の書にもそのような主旨の文章が書かれていた。企業のイメージ向上や、製品の売り上げを上げるためのSNS絵の発信であるにも関わらず、シャープさんの発信はそういった内容からはかけ離れ、山本氏個人が興味を惹かれた漫画の感想を語るものだったからだ。いわば、山本氏の「遊び心」みたいなものを、会社の経費使って発信していたようなもの。正直なところ、様々な問題で経営が厳しい中、合理性を追求し、効果効率を厳しく見定める経営者であれば言語道断の所業と断じてもおかしくないのだが、山本氏のSHARPに全く関係ない投稿は世間の耳目を集め、結果としてSHARPのイメージ向上に大いに貢献するのだ。

 

この現象、私が大学を卒業する頃の企業と広告の幸せな関係を思い起こさせた。当時は広告という領域の中で様々なクリエイターたちが企業とも商品ともかけ離れたところで自由に「遊び」、それが企業イメージの向上であったり、商品の売り上げにつながっていった。ペンギンのアニメに松田聖子の歌をのっけたビールのTVCMなんぞまさにその最たるもんで、なんでビールにペンギン?何でSweet Memories?って全く理解はできないものの、なんか醸し出してる世界観よくね?って感じでビールが売れてしまった。

 

しかし、バブル期が過ぎてしまうと、こういう幸せな関係は雲散霧消の憂き目を見る。何だか面白い、って曖昧さは許されなくなり、どの年代にどうアピールするか、そのためにはどのタレントを使って、どれだけの販促費を投じて、どれだけの収益を上げるか、こういう数字をデジタルに提示し、その達成度合いこそが広告の効果だ、というマーケティング視点ばかりが強く出てくることになってしまった。そして広告からは遊びが消え、機能や利便性の追求のみが全面に押し出された、面白みのないものばかりになってしまった。

 

山本氏の発信はそうした風潮を快く思わない方々が無意識に選び出した「遊び心」なのだろう。バブル期の広告との違いは、双方向であること。投稿を読んだ一般の方々からの反応や、それに対しての山本氏の返信が次々と話題を呼び、人気が高まって行った。こうなると、山本氏としてはより面白いものを追求しだすし、出来上がった面白いものはますます人気を呼ぶ、という好循環でシャープさんは人気者になっていった。その姿はまさに「文人墨客」のようだ。普段の企業活動には大して貢献してないが、社会に対しての鋭い目を持ち、時に人々の心を打つ発信を行い、結果的に企業の価値を高める。打率は低いものの、時折特大ホームランを放つ、リチャードみたいな存在。それが文人墨客で、広告華やかなりし頃はこういう文人墨客ってのを飼っておく余裕が企業にもあったような気がする。

 

とはいえ、山本氏の投稿はあくまで企業活動の一環であり、いかに消費者としての「読者」たちに企業として伝えたいメッセージを届けるかに関しての基本は外していない。

それは

・万人に広く薄く伝わるよりは、一人の人間に強烈に伝わるメッセージを発信する。

・他社の製品と比べてここがいいという伝え方ではなく、SHARPの製品にはこんないい性能が備わっているとアピールする。

の2点。

どちらも、広告に求められる基本的な効果だが、なかなか実現するのが難しい効果だ。そしてこの基本線をしっかり押さえているからこそ、山本氏がいかに自由に振る舞おうとも、結果的にはSHARPにメリットをもたらしている。

 

なるほど、山本氏に指導して貰えば、なんかいいことありそう、とは思ったが、費用その他の問題で、願書を出すか否かはまだ検討中。この書を読んだだけで、ある程度のことはわかったような気もするし、それ以上のものも得られるかもしれないし…。やんわりと魅力を感じることはできたが、行動を決定するまでには至らない。それは山本氏の言辞というよりは、自分の方向性がまだ定まり切っていないからだ、ということに気づけたのが最大の収穫かな。

 

 

「ジャケ借り」が見事にあたりだった一冊 『奥州狼狩奉行始末』読後感

 

県立の図書館の書棚で見かけて、なんとなく借りてきてしまった一冊。題名にもした通り表紙に興味を惹かれたことが一番の理由で、作者についても作品についても一切の予備知識なしに読み始めた。読了後の奥付けを見て初めてこの作品が「角川春樹小説賞」を受賞したことを知ったくらいだ。

 

物語は、一人の武士の出張旅行の描写から始まる。道中でその武士、岩泉源之進は一頭の堂々たる体躯の狼と出会う。この狼、「黒絞り」は後々この物語の「ジョーカー」的な役割を果たすのでしっかりと記憶しておいた方が良い。

 

場面は変わって、東北にあるとある小藩の藩士岩泉寛一郎の家。先に登場した岩泉源之進は寛一郎の父であり、狼狩奉行という役職に就いていたらしい。この小藩は馬が「名産品」で、藩にとって重要な財源であったが、狼による被害に手を焼いており、その対策として狼狩奉行を置き、その名の通り狼を狩る役目を任せていた。とはいうものの、狼狩奉行自らが狩りにおもむくことは少なく、普段は猟師に賞金を出して狼を駆除させるのと、二つある広大な牧を管理する野馬別当と連動して、馬を適正に養育するのがその職務だ。そして源之進は冒頭に描かれた出張旅行の帰途、黒絞りに襲われて崖から落ち、落命したことになっている。岩泉家からは源之進の後任を出さなければならないが、岩泉家の嫡男寛一郎は病弱でとても狼狩奉行など務められない、という設定になっている。

 

そこで白羽の矢がたったのが次男の亮介。武芸に打ち込んでいる25歳の若武者で、槍の腕は藩内でも5本の指に入るというキャラクターが付与されている。亮介は藩命に従い狼狩奉行に就任。そこに源之進の最期を看取ったという松岡という武士から「黒絞りに襲われ、崖から転落して落命した」とされている源之進の死が実は殺人ではないか、という疑惑が持ち込まれる。そして亮介は父の死の謎を解くために動き出し、謎の解明の過程で次々と悪事が暴かれていく、というストーリーが展開されていく。

 

ストーリーとしてはよくありがちなミステリーではあるのだが、次々現れる謎と、後々の謎解きに繋がっていく伏線、そしてその回収の過程が見事で、ついつい物語に引き込まれ、気づいたら一気に読み切っていた。どのような疑惑が生じ、どのようにその謎が解けるかは本文を読んで味わっていただくしかない。

 

最後の最後には大団円というべき結末を迎えてめでたしめでたしとなるとだけ記しておくことにする。亮介は槍の達人という設定の割には時代劇の剣豪みたいにバッタバッタと人を斬るわけでもなく悪人相手に苦戦するし、「自分一人の力ではなく様々な人々の協力を得て藩に巣食った悪を一掃した」という「強い組織のリーダーとはかくあるべき」というビジネス本みたいな賛辞を急に与えられて権限がグンと拡大したりするところが、私個人としてはちょっと興醒めだったのだが、案外とリアルな戦闘、論功行賞の姿なのかもしれない。

 

次の展開が気になって、ページを捲るのももどかしいという経験は久しぶりだった。権威主義的な物言いで恐縮だが、賞をもらうに値する作品だったと思う。

 

 

支離鬱々日記Vol.223(休職日記61 お題と徒然)

今週のお題「あったかグッズ」

 

まずはお題から。

 

最近、夜中に脚が攣って目が覚めてしまうことがとみに増えた。私の場合、攣ってしまうのはふくらはぎではなく、外側のくるぶしの上あたりの筋肉だ。普段運動などをしている時もほとんど気にしない部位だし、取り立てて負担をかけているという実感もないのだが、とにかく両脚ともに攣ることが多い。

 

たいして痛くはない痙攣ではあるのだが、それでも不快なのでなんとか治そうと、脚のいろんな部位に力を入れたり、伸ばしたりするのが、なかなか痛みが去ってくれない。一度、ちょうど尿意を催したこともあって、諦めて起きて、床に足をついたら治った。で、その体験以降は、件の部位が攣った時は諦めて床に足を下ろすことにした。一発で痛みが消えてしまうのだから仕方ない。しかしながら、夜中の中途半端な時間に目が覚めてしまい睡眠不足に陥るという有り難くない副作用を残してしまう。かかりつけの整体院にも症状を相談してみたが、「あんまり聞いたことのない症状ですね」と首を傾げられるばかり。

 

なんとかこの痙攣を回避する方法はないかと思って、いろいろ調べてみたところ。痙攣の1番の原因は「冷え」だとのこと。思い返してみると、寝相のあまりよろしくない私は、脚を掛け布団の外に放り出してしまっていることが多々ある。寒くなる昨今はもとより、冷房をかけたままで寝る夏においても、かなりの確率で脚は冷えに襲われていることになる。というわけで、買い求めたのが↑の品。

 

超肥満体の私の体重を支える両脚のふくらはぎはかなりぶっといので、一番大きいサイズであっても入るのか否かかなり疑問だったのだが、かなり自由に伸縮する品で、ピッタリとフィットした。で、実に暖かい。就寝中の冷えを見事に防いでくれている。着用を開始してから痙攣はぴたりとなくなった。ブラックフライデーセールではついつい余分なものを買ってしまうのだが、これは見事に役に立つ一品だった。早速もう一組追加注文しておいた。

 

ここのところ、ブログは少々お留守になってしまっていた。ラグビー記事を書く必要もあったし、文筆活動以外の諸々の用事が立て込んだこともあったが、1番の原因はnoteを始めたことだろう。今までなら、こっちに投稿していたネタをnoteの方に投稿することが多くなった。

 

自分自身にとって目新しいということもあるし、ブログよりも画像やら動画やらの取り込みが楽だということもある。何より、実収入に結びつきやすいという点が良い。まあ、まだ有料記事には手を出していないが。これからシーズンが佳境を迎える大学ラグビーや、開幕を迎えるリーグワンなどの観戦記から、徐々にお金をいただく方にシフトしていく予定。あらためまして、よろしくご愛顧のほどお願いいたします。

 

note.com

 

久しぶりに会社の夢を見た。それも再度私の悪夢の原点である地方支店への異動を言い渡されるという衝撃的な内容。いよいよ会社が本性を表して、事実上の退職勧告に出てきやがったか、と。かなりのショックを受けた。今の私の状態で、その地方支店での営業職なんぞに放り込まれたら、それこそ辞めるしかない。夢も希望もねーじゃねーかよ、おい。…待てよ、転勤前に医者から診断書もらって休職に逃げ込むって手もあるな、と考え始めたところで、あ、俺、今休職の真っ最中じゃねーか、ってことは今の異動だなんだって騒動は夢か、と気づいて目が覚めた。現実のお話ではないとホッとはしたが、あまり気分の良い目覚め方ではなかった。noteの方で、うつに罹患した原因から書き起こす「連載記事」を綴っているので、その影響で、あまり思い起こしたくない記憶が呼び覚まされたのだろう。こんなことに見舞われるんじゃ、うつについて振り返ってみることも良し悪しだな(苦笑)。自分の過去を客観的にみて、描写するってのは良い訓練にはなるんだが。気持ちにダメージ受けちゃ元も子もない。

 

 

久しぶりに純粋に感動できた一作 『長崎ぶらぶら節』読後感

 

 

近所の女子大の図書館にあるのを見かけて「衝動借り」してきたのが標題の書。

 

20年ほど前、当時の定番聴取番組だった『吉田照美のやる気MANMAN!』でアシスタントの小俣雅子氏が「長崎だらだら節」って勘違い発言をして吉田照美氏に思いっきり突っ込まれてたことを思い出して手にとってしまった。

 

また私自身は『玄海つれづれ節』と混同していた。ぶらぶら節もつれづれ節も九州が舞台で、映画化されており、両方とも主演は吉永小百合氏。『つれづれ節』のTVCMで吉永氏、故八代亜紀氏、風間杜夫氏が主題歌(?)に合わせて変なポーズを取ったシーンも本書を手に取った時点では頭の中に浮かんでいた。当然の如く両者は全くの別物。『ぶらぶら節』の方は直木賞を受賞した立派な文芸作品だった。権威主義丸出しの表現ご容赦願います。

 

ストーリーは、日本有数の遊郭である長崎・丸山で芸妓としての人生を生き切った愛八こと松尾サダの生涯を描いたもの。サダは貧しい漁村に生まれ、10歳の時に丸山の遊郭に連れて行かれることとなる。丸山には先にサダの姉がいたのだが、すでに丸山一の美女として名が知れ渡っていた。姉と比べるとはるかに容姿の劣るサダは、ならば芸で丸山一になってやろうと、歌や三味線、舞といった芸に精進する一方で「横綱の土俵入りのモノマネ」という飛び道具まで身につけ、それが評判を呼んで、丸山屈指の売れっ子となる。後にはサダの妹も丸山入りするのだが、この妹がまた容姿に優れており、愛八という源氏名を得たサダはますます芸に精進していく。特に歌が得意で客からの評価も高かった、という設定。この辺の設定から、映画のキャストに異議あり。吉永小百合氏より容貌が勝るような方はそうそういねーよ!容貌のコンプレックスから芸事に精進するって設定、かなり無理がないかい?まあ、虚構の世界なんだし、演技力とか主人公としての格とかいうことを考えあわせると吉永氏しかいない、っていう事情もわからんではないが。そういう意味では、愛八を市原悦子氏が演じたTVドラマの方が小説の世界により近かったような気がする(失礼)。

 

しかし、花の命は短い。姉と妹は早々に落籍されて良家に嫁にいったというのに、愛八にはそうした話がないまま、女の盛りを過ぎてしまった。芸妓としての人気は高いものの、女としての評価という意味では姉や妹に差をつけられたと感じていた愛八の前に現れたのは古賀十二郎という文人。海外への唯一の窓口として多種多様な文化が入り混じり、独特の文化を育んできた長崎の姿を「長崎学」という形で世に示そうと奔走する知の巨人だった。

 

古賀を一目見た瞬間から惹かれてしまった愛八だったが、男と女という関係にはなり得ぬとハナから諦めた「初恋」だった。それでも何度かお座敷がかかり、交流は深まっていく。この過程で古賀が知を極めようとすることには熱心であるものの、経済的な観念が全くなく、相続した名家を潰してしまったことや、9人も子供を作っておきながら全く家庭を顧みず、女房に任せっきりであることなどが描かれる。人を惹きつける魅力はたっぷりながら、関わった人々は決して幸せにはなれない。そして古賀本人もそのことを理解はしているが、その生き方を改めることはしない。身近にいたらあまり関わりたくない人物だ(笑)。

 

そして古賀は愛八をビジネスパートナー、というよりはフィールドワークの助手として長崎の民衆の間に歌い継がれてきた歌を採集するという雲を掴むような研究の手助けを頼む。歌詞は聴いて書き残すことはできるが、メロディーは音楽的な素養がない人間では記録できない。録音機器などなかった当時、三味線を弾きこなし、メロディーを拾うことのできる愛八は助手にうってつけの存在だったのだ。経済的に困窮状態ゆえ、給金はなし。それでも愛八はただ古賀と一緒にいることができ、古賀の役に立てるという想いだけでその無理な願いを聞き入れ、古賀と一緒に隠れキリシタンたちの離島から91歳の芸妓がいる宿場町まで長崎の各地を巡ることになる。

 

古賀は諸外国では、多くの場合歌は「空気」と同じ意味の言葉で表されると語る。人々がその時代のその生活の中で空気として吸い込んだ思いが、旋律に乗せた言葉という形で吐き出され、それを吸い込んだ別の人々がまた自分の思いを加えて吐き出していく。そうして歌は歌い継がれていくのだ、と。これは作詞家として数多くの「流行歌」を世に送り出してきた著者なかにし礼氏だからこそ書けた言葉だろう。時代時代の雰囲気を読んで、その雰囲気にあった言葉を紡ぎ、生まれた曲は時代の中を流れ、いつの間にか気持ちの一部分を形作っていく。お上品なクラシック音楽は正装して味わわなければならない高級ディナーだが、流行歌は町中華のようにさまざまなアレンジで日常生活の中にいつの間にか浸透し、根付いていく。流行歌を作るに際しての作者の心意気を私はこんなふうに勝手に解釈した。

 

愛八は曲の収集が終わった後、自分で曲を作ることを思い立ち、今までの知識を総動員して曲を作るとそれを古賀に聞かせ、歌詞をつけて欲しいと願う。この辺も「曲先」で作品を作り上げたことも少なくないであろうなかにし氏の経験が投影されているようで、ニヤリとしてしまった。こうして出来上がったのが題名ともなった『長崎ぶらぶら節』。レコードにも吹き込まれたこの曲は全国的にもヒットし、丸山遊郭の「テーマ曲」ともなった。

 

そして年老いた愛八が、この歌の正統な継承者に指名するのが雪千代。幼少期から花売りとして丸山に出入りしていた雪千代にとって愛八は残った花を全て買ってくれる上お得意さん。芸妓見習いになってからは先達として見習っていたものの、肺病を患い、命の灯火が消えようとする寸前だった。愛八の最晩年は雪千代の療養費を稼ぐためだけのものだったといって良い。

 

最初から最後まで、自分の気持ちを殺して他人のために奔走する愛八は愚かなのか?それとも尊い存在なのか?私は素直に後者の立場をとってしまった。なかにし氏の構成と筆運びが、皮肉な見方をするのを防いでくれたのだ。幸せな読後感に浸れた一冊だった。

 

「大人びた子」という異物を排除しようとするガキの集団と主人公の戦い 『風葬の教室』読後感

 

最近利用者登録をした近所の女子大の図書館の「日本文学」の棚で見つけたので借りてきた一冊。自身が受賞したのは「直木賞」ながら、「芥川賞」の審査員に名を連ねている異色の作家山田詠美氏が、世に出始めて間もない頃の作品だったと記憶している。題名となった作品の他に『こぎつねこん』という短編も収録されている。

 

山田氏は作家デビュー当時「SMクラブに勤務経験がある」ということで、世間の下世話な興味を集めたが、表題作の主人公本宮杏は、成長したら女王様(笑)にでもなっていそうなキャラが付与されている。両親の仕事の関係で転校を繰り返してきた杏は、その土地土地の子供たちの中に溶け込むほどの人懐こさを持ち得ず、常に孤独だった。そしてこの孤独は自分及び自分を取り巻く人間を常に客観視するという視座を杏に与え、観察眼を養わせる。そして彼女を、クラスの雰囲気に馴染まない「ツンとすました女」という立場に追いやってしまうのだ。

 

杏は小学校5年生という設定だが、そのくらいになると「大人の視点」を持つ女の子ってのはクラスに一人くらいは必ずいたような気がする。で、そういう女の子は「異物」として扱われることが多い。周りを取り巻く年相応のガキどもは、ガキとは違う次元で生きていることが許せずに攻撃する。そしてそういう子は往々にして美形であることが多いので、特に男子の「気になる子ほど意地悪をしてしまう」という屈折した心理の格好の的になってしまうのだ、美形であることはまた、大人を惹きつけてしまう場合もある。今作の中でも杏は、生徒に人気がある男性教師に無邪気な好意を寄せられることにより、女子からの強い反発を招いてしまう。教師の方には悪意が全くないから余計始末に悪く、杏の立場はどんどん悪化していく。

 

そんな杏を救ったのは、杏に比べればまだまだ幼いながら「大人の目」を持った男子の存在。二人は、平安時代の和歌のやり取りにも似た、奥ゆかしい、まどろっこしい方法で心を通わせていく。杏の方はその男の子から直接的な「好きだ」だの「愛している」だのの言葉が返ってきたら、即座に関係を打ち切るという「大人」の決意があるのだが、男の子の方はそうした気持ちを知ってか知らずか、具体的には気持ちを表さない。私なんかよりよほど大人だ(笑)。

 

文中、杏は体育の授業の間に、他の生徒が身につけていないようなおしゃれなスリップを奪われ、そのスリップを水に浸された上で、アタマの上に載せられるという嫌がらせを受けるのだが、その描写を読んだ途端、「あ、これ昔読んだことがある作品だ」と気がついた。それこそ山田詠美という作家が話題になった頃に読んだ作品だったのだ。そういえば、当時も「大人びた女の子」って難しいんだな、という感想を持ったことを思い出した。

 

もう一作の『こぎつねこん』に関しては全く記憶がなかったが、この作品の主人公は表題作の中で杏の姉として登場した、高校生だというのに酒もタバコもバカバカ飲み、性体験もあけすけに語る女性なんだろうな、と思った。二つの作品の世界観が同一のものだとは一言も書かれてはいないが、私はそう感じた。最後の一文が強く印象に残った。どんな言葉かは是非とも本文をお読みいただきたい。