脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「ジャケ借り」が見事にあたりだった一冊 『奥州狼狩奉行始末』読後感

 

県立の図書館の書棚で見かけて、なんとなく借りてきてしまった一冊。題名にもした通り表紙に興味を惹かれたことが一番の理由で、作者についても作品についても一切の予備知識なしに読み始めた。読了後の奥付けを見て初めてこの作品が「角川春樹小説賞」を受賞したことを知ったくらいだ。

 

物語は、一人の武士の出張旅行の描写から始まる。道中でその武士、岩泉源之進は一頭の堂々たる体躯の狼と出会う。この狼、「黒絞り」は後々この物語の「ジョーカー」的な役割を果たすのでしっかりと記憶しておいた方が良い。

 

場面は変わって、東北にあるとある小藩の藩士岩泉寛一郎の家。先に登場した岩泉源之進は寛一郎の父であり、狼狩奉行という役職に就いていたらしい。この小藩は馬が「名産品」で、藩にとって重要な財源であったが、狼による被害に手を焼いており、その対策として狼狩奉行を置き、その名の通り狼を狩る役目を任せていた。とはいうものの、狼狩奉行自らが狩りにおもむくことは少なく、普段は猟師に賞金を出して狼を駆除させるのと、二つある広大な牧を管理する野馬別当と連動して、馬を適正に養育するのがその職務だ。そして源之進は冒頭に描かれた出張旅行の帰途、黒絞りに襲われて崖から落ち、落命したことになっている。岩泉家からは源之進の後任を出さなければならないが、岩泉家の嫡男寛一郎は病弱でとても狼狩奉行など務められない、という設定になっている。

 

そこで白羽の矢がたったのが次男の亮介。武芸に打ち込んでいる25歳の若武者で、槍の腕は藩内でも5本の指に入るというキャラクターが付与されている。亮介は藩命に従い狼狩奉行に就任。そこに源之進の最期を看取ったという松岡という武士から「黒絞りに襲われ、崖から転落して落命した」とされている源之進の死が実は殺人ではないか、という疑惑が持ち込まれる。そして亮介は父の死の謎を解くために動き出し、謎の解明の過程で次々と悪事が暴かれていく、というストーリーが展開されていく。

 

ストーリーとしてはよくありがちなミステリーではあるのだが、次々現れる謎と、後々の謎解きに繋がっていく伏線、そしてその回収の過程が見事で、ついつい物語に引き込まれ、気づいたら一気に読み切っていた。どのような疑惑が生じ、どのようにその謎が解けるかは本文を読んで味わっていただくしかない。

 

最後の最後には大団円というべき結末を迎えてめでたしめでたしとなるとだけ記しておくことにする。亮介は槍の達人という設定の割には時代劇の剣豪みたいにバッタバッタと人を斬るわけでもなく悪人相手に苦戦するし、「自分一人の力ではなく様々な人々の協力を得て藩に巣食った悪を一掃した」という「強い組織のリーダーとはかくあるべき」というビジネス本みたいな賛辞を急に与えられて権限がグンと拡大したりするところが、私個人としてはちょっと興醒めだったのだが、案外とリアルな戦闘、論功行賞の姿なのかもしれない。

 

次の展開が気になって、ページを捲るのももどかしいという経験は久しぶりだった。権威主義的な物言いで恐縮だが、賞をもらうに値する作品だったと思う。

 

 

支離鬱々日記Vol.223(休職日記61 お題と徒然)

今週のお題「あったかグッズ」

 

まずはお題から。

 

最近、夜中に脚が攣って目が覚めてしまうことがとみに増えた。私の場合、攣ってしまうのはふくらはぎではなく、外側のくるぶしの上あたりの筋肉だ。普段運動などをしている時もほとんど気にしない部位だし、取り立てて負担をかけているという実感もないのだが、とにかく両脚ともに攣ることが多い。

 

たいして痛くはない痙攣ではあるのだが、それでも不快なのでなんとか治そうと、脚のいろんな部位に力を入れたり、伸ばしたりするのが、なかなか痛みが去ってくれない。一度、ちょうど尿意を催したこともあって、諦めて起きて、床に足をついたら治った。で、その体験以降は、件の部位が攣った時は諦めて床に足を下ろすことにした。一発で痛みが消えてしまうのだから仕方ない。しかしながら、夜中の中途半端な時間に目が覚めてしまい睡眠不足に陥るという有り難くない副作用を残してしまう。かかりつけの整体院にも症状を相談してみたが、「あんまり聞いたことのない症状ですね」と首を傾げられるばかり。

 

なんとかこの痙攣を回避する方法はないかと思って、いろいろ調べてみたところ。痙攣の1番の原因は「冷え」だとのこと。思い返してみると、寝相のあまりよろしくない私は、脚を掛け布団の外に放り出してしまっていることが多々ある。寒くなる昨今はもとより、冷房をかけたままで寝る夏においても、かなりの確率で脚は冷えに襲われていることになる。というわけで、買い求めたのが↑の品。

 

超肥満体の私の体重を支える両脚のふくらはぎはかなりぶっといので、一番大きいサイズであっても入るのか否かかなり疑問だったのだが、かなり自由に伸縮する品で、ピッタリとフィットした。で、実に暖かい。就寝中の冷えを見事に防いでくれている。着用を開始してから痙攣はぴたりとなくなった。ブラックフライデーセールではついつい余分なものを買ってしまうのだが、これは見事に役に立つ一品だった。早速もう一組追加注文しておいた。

 

ここのところ、ブログは少々お留守になってしまっていた。ラグビー記事を書く必要もあったし、文筆活動以外の諸々の用事が立て込んだこともあったが、1番の原因はnoteを始めたことだろう。今までなら、こっちに投稿していたネタをnoteの方に投稿することが多くなった。

 

自分自身にとって目新しいということもあるし、ブログよりも画像やら動画やらの取り込みが楽だということもある。何より、実収入に結びつきやすいという点が良い。まあ、まだ有料記事には手を出していないが。これからシーズンが佳境を迎える大学ラグビーや、開幕を迎えるリーグワンなどの観戦記から、徐々にお金をいただく方にシフトしていく予定。あらためまして、よろしくご愛顧のほどお願いいたします。

 

note.com

 

久しぶりに会社の夢を見た。それも再度私の悪夢の原点である地方支店への異動を言い渡されるという衝撃的な内容。いよいよ会社が本性を表して、事実上の退職勧告に出てきやがったか、と。かなりのショックを受けた。今の私の状態で、その地方支店での営業職なんぞに放り込まれたら、それこそ辞めるしかない。夢も希望もねーじゃねーかよ、おい。…待てよ、転勤前に医者から診断書もらって休職に逃げ込むって手もあるな、と考え始めたところで、あ、俺、今休職の真っ最中じゃねーか、ってことは今の異動だなんだって騒動は夢か、と気づいて目が覚めた。現実のお話ではないとホッとはしたが、あまり気分の良い目覚め方ではなかった。noteの方で、うつに罹患した原因から書き起こす「連載記事」を綴っているので、その影響で、あまり思い起こしたくない記憶が呼び覚まされたのだろう。こんなことに見舞われるんじゃ、うつについて振り返ってみることも良し悪しだな(苦笑)。自分の過去を客観的にみて、描写するってのは良い訓練にはなるんだが。気持ちにダメージ受けちゃ元も子もない。

 

 

久しぶりに純粋に感動できた一作 『長崎ぶらぶら節』読後感

 

 

近所の女子大の図書館にあるのを見かけて「衝動借り」してきたのが標題の書。

 

20年ほど前、当時の定番聴取番組だった『吉田照美のやる気MANMAN!』でアシスタントの小俣雅子氏が「長崎だらだら節」って勘違い発言をして吉田照美氏に思いっきり突っ込まれてたことを思い出して手にとってしまった。

 

また私自身は『玄海つれづれ節』と混同していた。ぶらぶら節もつれづれ節も九州が舞台で、映画化されており、両方とも主演は吉永小百合氏。つれづれ節のTVCMで吉永氏、故八代亜紀氏、風間杜夫氏が主題歌(?)に合わせて変なポーズを取ったシーンも本書を手に取った時点では頭の中に浮かんでいた。当然の如く両者は全くの別物。『ぶらぶら節』の方は直木賞を受賞した立派な文芸作品だった。権威主義丸出しの表現ご容赦願います。

 

ストーリーは、日本有数の遊郭である長崎・丸山で芸妓としての人生を生き切った愛八こと松尾サダの生涯を描いたもの。サダは貧しい漁村に生まれ、10歳の時に丸山の遊郭に連れて行かれることとなる。丸山には先にサダの姉がいたのだが、すでに丸山一の美女として名が知れ渡っていた。姉と比べるとはるかに容姿の劣るサダは、ならば芸で丸山一になってやろうと、歌や三味線、舞といった芸に精進する一方で「横綱の土俵入りのモノマネ」という飛び道具まで身につけ、それが評判を呼んで、丸山屈指の売れっ子となる。後にはサダの妹も丸山入りするのだが、この妹がまた容姿に優れており、愛八という源氏名を得たサダはますます芸に精進していく。特に歌が得意で客からの評価も高かった、という設定。この辺の設定から、映画のキャストに異議あり吉永小百合氏より容貌が勝るような方はそうそういねーよ!容貌のコンプレックスから芸事に精進するって設定、かなり無理がないかい?まあ、虚構の世界なんだし、演技力とか主人公としての格とかいうことを考えあわせると吉永氏しかいない、っていう事情もわからんではないが。そういう意味では、愛八を市原悦子氏が演じたTVドラマの方が小説の世界により近かったような気がする(失礼)。

 

しかし、花の命は短い。姉と妹は早々に落籍されて良家に嫁にいったというのに、愛八にはそうした話がないまま、女の盛りを過ぎてしまった。芸妓としての人気は高いものの、女としての評価という意味では姉や妹に差をつけられたと感じていた愛八の前に現れたのは古賀十二郎という文人。海外への唯一の窓口として多種多様な文化が入り混じり、独特の文化を育んできた長崎の姿を「長崎学」という形で世に示そうと奔走する知の巨人だった。

 

古賀を一目見た瞬間から惹かれてしまった愛八だったが、男と女という関係にはなり得ぬとハナから諦めた「初恋」だった。それでも何度かお座敷がかかり、交流は深まっていく。この過程で古賀が知を極めようとすることには熱心であるものの、経済的な観念が全くなく、相続した名家を潰してしまったことや、9人も子供を作っておきながら全く家庭を顧みず、女房に任せっきりであることなどが描かれる。人を惹きつける魅力はたっぷりながら、関わった人々は決して幸せにはなれない。そして古賀本人もそのことを理解はしているが、その生き方を改めることはしない。身近にいたらあまり関わりたくない人物だ(笑)。

 

そして古賀は愛八をビジネスパートナー、というよりはフィールドワークの助手として長崎の民衆の間に歌い継がれてきた歌を採集するという雲を掴むような研究の手助けを頼む。歌詞は聴いて書き残すことはできるが、メロディーは音楽的な素養がない人間では記録できない。録音機器などなかった当時、三味線を弾きこなし、メロディーを拾うことのできる愛八は助手にうってつけの存在だったのだ。経済的に困窮状態ゆえ、給金はなし。それでも愛八はただ古賀と一緒にいることができ、古賀の役に立てるという想いだけでその無理な願いを聞き入れ、古賀と一緒に隠れキリシタンたちの離島から91歳の稽古がいる宿場町まで長崎の各地を巡ることになる。

 

古賀は諸外国では、多くの場合歌は「空気」と同じ意味の言葉で表されると語る。人々がその時代のその生活の中で空気として吸い込んだ思いが、旋律に乗せた言葉という形で吐き出され、それを吸い込んだ別の人々がまた自分の思いを加えて吐き出していく。そうして歌は歌い継がれていくのだ、と。これは作詞家として数多くの「流行歌」を世に送り出してきた著者なかにし礼氏だからこそ書けた言葉だろう。時代時代の雰囲気を読んで、その雰囲気にあった言葉を紡ぎ、生まれた曲は時代の中を流れ、いつの間にか気持ちの一部分を形作っていく。お上品なクラシック音楽は正装して味わわなければならない高級ディナーだが、流行歌は町中華のようにさまざまなアレンジで日常生活の中にいつの間にか浸透し、根付いていく。流行歌を作るに際しての作者の心意気を私はこんなふうに勝手に解釈した。

 

愛八は曲の収集が終わった後、自分で曲を作ることを思い立ち、今までの知識を総動員して曲を作るとそれを古賀に聞かせ、歌詞をつけて欲しいと願う。この辺も「曲先」で作品を作り上げたことも少なくないであろうなかにし氏の経験が投影されているようで、ニヤリとしてしまった。こうして出来上がったのが題名ともなった『長崎ぶらぶら節』。レコードにも吹き込まれたこの曲は全国的にもヒットし、丸山遊郭の「テーマ曲」ともなった。

 

そして年老いた愛八が、この歌の正統な継承者に指名するのが雪千代。幼少期から花売りとして丸山に出入りしていた雪千代にとって愛八は残った花を全て買ってくれる上お得意さん。芸妓見習いになってからは先達として見習っていたものの、肺病を患い、命の灯火が消えようとする寸前だった。愛八の最晩年は雪千代の療養費を稼ぐためだけのものだったといって良い。

 

最初から最後まで、自分の気持ちを殺して他人のために奔走する愛八は愚かなのか?それとも尊い存在なのか?私は素直に後者の立場をとってしまった。なかにし氏の構成と筆運びが、皮肉な見方をするのを防いでくれたのだ。幸せな読後感に浸れた一冊だった。

 

「大人びた子」という異物を排除しようとするガキの集団と主人公の戦い 『風葬の教室』読後感

 

最近利用者登録をした近所の女子大の図書館の「日本文学」の棚で見つけたので借りてきた一冊。自身が受賞したのは「直木賞」ながら、「芥川賞」の審査員に名を連ねている異色の作家山田詠美氏が、世に出始めて間もない頃の作品だったと記憶している。題名となった作品の他に『こぎつねこん』という短編も収録されている。

 

山田氏は作家デビュー当時「SMクラブに勤務経験がある」ということで、世間の下世話な興味を集めたが、表題作の主人公本宮杏は、成長したら女王様(笑)にでもなっていそうなキャラが付与されている。両親の仕事の関係で転校を繰り返してきた杏は、その土地土地の子供たちの中に溶け込むほどの人懐こさを持ち得ず、常に孤独だった。そしてこの孤独は自分及び自分を取り巻く人間を常に客観視するという視座を杏に与え、観察眼を養わせる。そして彼女を、クラスの雰囲気に馴染まない「ツンとすました女」という立場に追いやってしまうのだ。

 

杏は小学校5年生という設定だが、そのくらいになると「大人の視点」を持つ女の子ってのはクラスに一人くらいは必ずいたような気がする。で、そういう女の子は「異物」として扱われることが多い。周りを取り巻く年相応のガキどもは、ガキとは違う次元で生きていることが許せずに攻撃する。そしてそういう子は往々にして美形であることが多いので、特に男子の「気になる子ほど意地悪をしてしまう」という屈折した心理の格好の的になってしまうのだ、美形であることはまた、大人を惹きつけてしまう場合もある。今作の中でも杏は、生徒に人気がある男性教師に無邪気な好意を寄せられることにより、女子からの強い反発を招いてしまう。教師の方には悪意が全くないから余計始末に悪く、杏の立場はどんどん悪化していく。

 

そんな杏を救ったのは、杏に比べればまだまだ幼いながら「大人の目」を持った男子の存在。二人は、平安時代の和歌のやり取りにも似た、奥ゆかしい、まどろっこしい方法で心を通わせていく。杏の方はその男の子から直接的な「好きだ」だの「愛している」だのの言葉が返ってきたら、即座に関係を打ち切るという「大人」の決意があるのだが、男の子の方はそうした気持ちを知ってか知らずか、具体的には気持ちを表さない。私なんかよりよほど大人だ(笑)。

 

文中、杏は体育の授業の間に、他の生徒が身につけていないようなおしゃれなスリップを奪われ、そのスリップを水に浸された上で、アタマの上に載せられるという嫌がらせを受けるのだが、その描写を読んだ途端、「あ、これ昔読んだことがある作品だ」と気がついた。それこそ山田詠美という作家が話題になった頃に読んだ作品だったのだ。そういえば、当時も「大人びた女の子」って難しいんだな、という感想を持ったことを思い出した。

 

もう一作の『こぎつねこん』に関しては全く記憶がなかったが、この作品の主人公は表題作の中で杏の姉として登場した、高校生だというのに酒もタバコもバカバカ飲み、性体験もあけすけに語る女性なんだろうな、と思った。二つの作品の世界観が同一のものだとは一言も書かれてはいないが、私はそう感じた。最後の一文が強く印象に残った。どんな言葉かは是非とも本文をお読みいただきたい。

 

男と女は勘違いだらけ 『拷問依存症』読後感

 

櫛木理宇氏による『依存症シリーズ』の四作目。この作の読了で、ようやく私はこのシリーズの「現在地」に追いついたことになる。どの作品も描かれる事象はおぞましくはあったが、そのおぞましさ故に惹かれてしまうという矛盾した心が自分にあることを気づかせてもらった。

今作は、一人の映像クリエイター我孫子が人を一人轢き殺してしまうところから始まる。映像クリエイターといえば聞こえはいいが、要するにエロ動画作成を生業にしている人物で、卑しい人格の持ち主の男という設定。我孫子は轢き殺してしまった人物を近くの工事現場に放り込みそのまま逃げてしまうという、付与されたキャラに恥じない罪を犯すのだが、その代償を払わせようとする人物が現れる。我孫子は訳がわからないまま正体不明の人物の命令に従うしかないのだが、このシリーズの読者ならそれが誰かはすぐにお分かりだろう。

 

場面は変わって、このシリーズの「定番」である、惨殺死体が発見されて騒然となる警察署が描かれる。今回の惨殺体は男で、指が切断され、歯が抜かれ、肛門が大きく陥没させられていた。しかも死因は凍死。つまり犯人は被害者がまだ生きているうちにさまざまな拷問を加え、苦しむ被害者を放置して死に至らしめたということになる。肛門が陥没していることを考えると、被害者の男はおそらく女性に対して手酷い性加害を加えたのだろうと推測される。女性が受けた痛みを、男に疑似的にではあるが味わわせられるのは肛門への加撃だろうからだ。

 

そして、もう一人、同じように拷問を加えられた男性の遺体が発見される。この二人の関係は?そして我孫子が轢き逃げの代償として作らされた映像とは?

 

犯人は最初からわかっているのだが、二人の男性が殺害されるに至った理由の謎解きがこの物語の最大の眼目となる。で、その謎に迫るために櫛木氏はさまざまな趣向を凝らして文章を書き進めているので、是非ともその技巧を味わいながら本文をお読みいただきたい。最後に全ての謎が一つの結論に集約していく様はミステリーを読む楽しみというものをあらためて感じさせてくれるであろう。

 

この作品のもう一つの重要なモチーフは、性行為をめぐる男女間の感じ方の差、というか、男の側が女性に対して抱いている過大かつ誤った幻想についてだ。たとえば、AVには痴漢モノという根強い人気を持つジャンルがあるが、そこ作品内で描かれるのは、嫌だと痴漢たちの指に抗いながらも、最後には「感じてしまう」女たちだ。しかしこれは男の妄想を都合よく映像化したものに過ぎず、実際には被害者女性には心身ともに大きな傷が残るだけだ。その大きな勘違いを拡大解釈した男たちに鉄槌を下す「必殺仕事人」が浜真千代なのだ。

 

今作では、第一作から登場している刑事高比良が浜グループに「負け」て警察を去ることになり、浦杉架乃は浜グループの「癒し」部門の活動を担う姿が描かれる。そしてこのシリーズは、この設定を引っ張ったまま、まだまだ続きそうだ。次回作を楽しみに待ちたいと思う。

 

 

 

 

「浜真千代の正義」が炸裂した一作 『残酷依存症』読後感

 

『依存症シリーズ』の二作目。

 

この作品は「正義の遂行者」としての側面にフォーカスして浜真千代という人物を描いている。一言で言ってしまえば、真千代を必殺仕事人として遇しているのだ。ただし、仕事人たちは多くの場面で悪人たちを一瞬のうちに葬り去るが、この作品で裁かれる悪人たちは、肉体的のみならず精神的にも、実に惨たらしい拷問を受けながら命を奪われる。

 

ストーリーは一人の男子大学生が何者かにスタンガンで襲われ気を失うところから始まる。ん、なんだ、いきなり不穏な出だしだぞ。もっともこのシリーズに平穏な場面はほとんど描かれない。描かれるとすれば、その後の残虐なシーンを引き立てるためのスパイスとしての挿入であって、平穏なシーンが物語の「主流」になることはまずない。

 

そして場面はいきなり変わる。今度は美人女子大生の死体が発見されたという知らせに、警察が緊張感を高めているシーンだ。殺された女子大生の死体はかなりひどい状況で、かなりの時間ひどい殴打を受けた末に殺されたと推測されると描写されている。

 

シリーズの読者であれば、両方の事案ともに真千代の息のかかった人物たちの仕業だろうとピンときてしまうと思うし、実際にその通りだということが後々語られるのだが。それではなぜ、女子大生は殺され、男子学生は拉致されたのか?この謎を少しづつ明らかにしていくことでストーリーが進んでいく。

 

とはいえ、ストーリーの大半を占めるのは冒頭で拉致された一人を含む三人の大学生への拷問シーンだ。三人の男子学生はいずれも両手両足の指を数本切り取られ、両手両足を厳しく結束された状態で一人ずつ同じ建物の中の別々の場所に監禁されている。この建物は海の近くにあり、周りに人家はあまりなく、夏場以外は訪れる人が極端に少ないという監禁に最適な場所という特徴を付与されている。そして、三人は傷の痛みを抱えたまま、水も食物も与えられない長い時間を過ごすという拷問をまずは与えられる。

 

目の前に水と食い物を並べられたら、親だって殺すという心境になったところで、監禁した人物から三人に命令が下される。それは三人のうちの一人の爪を残りの二人で剥がすという指令だった。三人は中学時代からの友人だったが、ここでその人間関係の闇が暴かれる。これも一つの心理的拷問だ。そしてこの心理的にも肉体的にも苦痛を与えていくという拷問はその後も繰り返されることとなる。

 

そしてその苦しみの中でなぜこの三人がこんな目に遭わなければいけないのかが、説明されていく。拷問を受ける人物の心中の独白という形で謎が明らかになっていく展開はなかなかに考えられていて読み応えがあった。拷問を受けて混乱する心理の中で、行きつ戻りつする謎解きには、読者をじらす効果もあり、早く次の展開を読みたいという気分にさせられた。盗みたいテクニックだ(笑)。この心理描写がこの作の最大の眼目と言って良いので、焦ったくはあるが読み飛ばすことのないよう、しっかり読んでいただきたい。

 

そして、ついに明らかになる謎。これは『監禁依存症』の結末と対をなす意外性を持ったものだった。流石にどんな謎だったかについてはヒントすら与えられない。是非とも本文に当たっていただきたい。

 

真千代が、単純な悪人ではなく、非常に複雑怪奇な人間であることをしっかりと示して次作に繋げていくというテクニックも盗みたい(笑)。で、やっぱりシリーズの進行通りに読んだ方が、より深く各作品を味わえたなぁ、と改めて思った。

 

 

支離鬱々日記Vol.223(休職日記60 お題と徒然)

今週のお題「最近ゲットしたもの」

 

気がつけば11月、今年もあと50日あまり。明日11/7は立冬。今年の流行語大賞候補には「二季」なんて言葉が入って、特に「秋」の存在感が低下しているが、確かにここ数日の急激な冷え込みは冬の到来を実感させる。

 

私のココロの状態は相変わらずはっきりしない。会社の仕事には戻りたくないので、文筆の仕事の新しい口を見つけようとしているのだが、これが全くうまくいっていない。定期的な仕事について、応募した案件はことごとく書類選考ではねられてしまっている状態。クラウドソーシングの方はなんとか1件実際に文章を書く、というところまでいったが、「会社の仕事」と利害関係が生じてしまうということでこちらから断りを入れさせてもらった。書きたい気持ちは山々なんだが、懲戒対象事案にでも問われて、大して多くないとはいえ、老後の生活の貴重な原資となるであろう退職金がもらえないような事態にでもなったら泣くに泣けないからだ。クライアント様には多大なる迷惑をかけてしまい、誠に申し訳なくは思っているのだが、背に腹はかえられぬとはこういう心境を指すのだろうな、ということを実感させてもらった。

 

そんなこんなで、トライした結果がほぼ100%エラーという状態では、いかに意欲をもって取り組もうとも意気は上がらない。それでもめげずに挑戦はし続ける気持ちではいるが。

 

 

そんな日常をなんとか打破しようとゲットしたものが↑の一品。お子様の間で密かな流行となりつつある「やる気ペン」の大人版だ。まあ、言ってみればお勉強版の万歩計とでも言おうか。筆記具に装着してその時間を自動的に記録することで達成度合いを自動で記録し、自己満足に浸ってお勉強へのモチベーションを維持しようというツールだ。販売元のコクヨさんは相当力入っていると見えて、午前中にAmazonに注文したら夕方には届いた。で、ただいま充電中。充電し終わったら早速漢検のお勉強やらTOEICやらモーニングノートなんかの際に鉛筆やら万年筆に装着して効果の程を試してみようと思う。使用感についてはこのブログか、もしくは最近始めたnoteの方に投稿するつもりなので、興味のある方はぜひご一読ください。記事書いたら各種SNSで告知します。

 

もう一つ、つい最近ゲットしたのは「ほぼ日手帳」のアプリ。iPhoneiPadにインストールして10/31から続けている。ちょっと前に紹介した↓の本で、とにかく思いついたことや発見したことは全てメモっておき、執筆のネタに使うべしとのアドバイスを得たので、スマホでもタブレットでもメモがわりに使えればいいや、と、軽く考えて導入。

 

www.yenotaboo.work

 

しかし、さすがは紙のノートで数多い愛好者がいるほぼ日手帳だけあって、利用者を毎日何かしらの爪痕を残させざるを得ないという気持ちにさせるノウハウが詰め込まれている。私も毎日なんらかの写真撮って、断片的にではあるが1日の行動やら気づいたことなんかを記入することが習慣化しつつある。糸井重里氏の戦略にのせられてしまうのは少々癪ではあるのだが、気軽なライフログとして残すのは悪くない。まあ、飽きるまでは続けようと思う。最初は、日記にアップするための写真を集めるだけでもいいと思う。残した写真には必ず自分の琴線に触れたものがあるはずで、その気持ちの動きを記録しておくだけでも何か心に引っかかりは残っていくはずだ。

 

もう一つ、この時期、最大のゲットは居住している県の県立図書館が意外に使えることを発見できたことだ。田舎の図書館ゆえ、大した蔵書もないだろうと高を括って、電子書籍を利用するためだけに、利用者登録を済ませ、そのおまけとしてちょいと本棚を覗いてみたのだが、ちょうど企画展として「世界の文学賞受賞作品たち」という書籍を展示しており、思わず何冊か手にとって借りてしまった。その他、高尚な学術書から、割と俗に寄った新書、文庫本の類いまで、久々に実物の本棚を見て、読みたいと思った本を手当たり次第引っ張り出すという快感を味合わせてもらった。売れ筋や新刊こそ「普通の本屋」のように山積みされているわけではないが、ちょっと渋めの、知る人ぞ知る本を数多く揃えた本屋の書棚を眺めているような、「本屋を訪れることの楽しみ」を味合わせてくれた空間だった。近所の女子大の図書館と合わせ、積極的に活用したい。何しろ、無料なんだし、今の私の状態なら、平日の昼間に行って思う存分本を選ぶこともできる。せっかくの文化施設だ、しっかり使わせてもらおう。