脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

襲いくる「困難ポルノ」に耐え切ることができるか? 劇場版『TOKYO MER〜走る救急救命室〜』鑑賞記

 

 

話題作の多いTBS日曜9時枠のドラマとして制作・放映され最高視聴率19.5%を獲得した作品の劇場版。事件や事故の現場で救命にあたる、医療チームの活躍を描く。

 

チームの中心は医師喜多見(鈴木亮平)。テロに遭い、重傷を負った両親が自分の目の前で息を引き取ったという経験から「待っているだけじゃ、救えない命がある」という信念を心に刻み、燃え盛る火災の中であろうが、銃を持った犯人が立てこもる建物の中であろうが飛び込んでいって負傷者の救命にあたる人物。ドラマはこの喜多見の無鉄砲とも言える行動に引っ張り回されながらも、その信念に次第に心動かされていくチームのメンバーたちの人間模様を中心に進んでいった。表面上は対立しながらも、最後の最後では喜多見を度々救うことになる、医系技官・音羽賀来賢人)との緊張関係を継続しながらの人間関係をアクセントとし、毎回毎回、ギリギリの救命現場が描かれるこのドラマ、なかなか見応えはあった。

 

で、劇場版。「敵役」の横浜MERのチーフにして音羽の元カノ鴨居友に杏を迎え、いつにも増して東京MERの活動を阻害する要因を増やした作りになっている。以前紹介した『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』の公式によれば、おもしろい映画とは、

①作品の序盤で小さな試練を乗り越える

②作品の終盤で、絶対に乗り越えることのできない試練に直面し、そしてそれをなんとか乗り切る

この二点の要件を満たしているのだという。思いっきりざっくりとしたまとめでございますけどね。

 

①に関しては、先にも述べた通り横浜MERという救急救命医療チームとの対立が該当する。横浜MERの信条は「危険を冒しては、救えない命がある」というもので、喜多見の信条とは正反対。そして、東京MERの後援者である東京都知事・赤塚(石田ゆり子)と横浜MERの後ろ盾である厚生労働大臣・両国(徳重聡)は政敵同士という見事なまでの対立関係。で、横浜みなとみらいのランドマークタワーで発生した大規模火災の現場で、いつも通りに現場に突入しようとする東京MERを批判した横浜MERはあくまで救出された怪我人たちの救護にあたることを主張し、東京MERへの消防その他の支援までも拒否する。ご丁寧に両国大臣までもが現場に現れて、東京MERの活動を非難するという徹底ぶり。余談だが徳重聡って、なんだかこういうケチな悪役が似合うようになっちゃったな。「第二の石原裕次郎」になるはずだったのにね…。

 

さて、東京MERは、唯一の味方は東京消防局のレスキュー隊という極めて不利な状況の中、ランドマークタワー内への突入を敢行。紹介が前後してしまったが、このランドマーク内の観光客の中には喜多見の妻であり臨月である循環器医師・千晶(仲里依紗)も含まれていた。千晶とは5年前に一度離婚し、なんとか再婚を果たしたものの、喜多見の仕事偏重の生活のせいですれ違いが生じ、別居したという設定になっている。この時点で、アメリカ映画のド定番「ストーリー上の試練克服に伴って破綻しかけた恋愛関係の修復がなされる」という展開になるんだろうな、と予想されてやや興醒めした。何でもかんでもそういう要素を取り込めばいいってもんじゃねーっつーの。とはいえ、この臨月という設定は最後の最後で重要な意味を持つので、頭の片隅には置いておいてほしい。

 

火災は名前も設定されていない放火犯(今野浩喜)によるもの。今野浩喜も、異常な一面を持つ悪役とか、やっていることは悪なんだけども、心の底からの悪人ではない、って脇役にすっかり定着した感がある。画面に出てくると「あ、この人犯人」ってすぐにわかっちゃう人になっちゃったってことでもあるけど。話をストーリーのほうに戻すと、この犯人が無軌道に方々にガソリンを配置しまくったことも大事な伏線だ。

 

突入後はいつもの展開。緊急の治療を要する患者たちが次々と現れ、喜多見たちは息つく暇もないほど患者の対応に追いまくられる。消防隊も危険を感じて十分な消化活動をできないし、エレベーターも使えないという、ものすごくシンドい状況の中、高層階に取り残された観光客たちの救助に向かう東京MERの面々。犯人が方々にしかけたガソリンが次々と爆発し、負傷者がどんどん増える。爆発によって健常者たちもパニックを起こす。今まで元気だった人が突然倒れる。東京MERに合流して負傷者のケアにあたっていた千晶には切迫流産の危険性が生じる…。いやはや、これでもかこれでもかの試練のてんこ盛り。その都度登場する日替わりヒーローならぬ場面変わりヒーロー、なんとか凌いできた喜多見と千晶を襲う最後の大きな試練。果たしてこの試練を喜多見は乗り切れるのか?というところで、ネタバレスレスレでストーリー紹介は終了。結末は是非本編をご覧ください。

 

何しろ題名にも書いた通り、後半はドラマにしたら3〜4本は優に作れるだけの困難が襲いかかる「困難ポルノ」状態だ。これを醒めた目で見られるか、思いっきり感情移入して見られるかで、作品の評価は大きく変わってくると思う。私は制作側の意図を見透かした上で、その手に敢えて乗っかってドキドキ感を味わうことにしたが、悪くないカタルシスを味わえた。元々の作りが、ドキドキ感を散々煽った上で安心感をもたらすことを意図したものだったのだから、その拡大版だと思えばいい。何もやたらめったら悪口書きゃいいってもんでもないってことさ。

 

支離鬱々日記Vol.193(休職日記30 お題と徒然)

今週のお題「練習していること」

 

まずはお題から。

 

練習していることは、漢検TOEIC、歌、SEO検定、そして筋トレ。

 

練習というカテゴライズにはそぐわないかもしれないが、まあ、要するに日々鍛錬していることだ。漢検は2級と準1級、SEO検定に関しては3級に合格することを目標にお勉強中。SEO検定はつい最近、ランサーズでとあるランサーさんの経歴ページを見ていて見つけた資格。意味ある資格か否かについてはさまざま意見があるが、今後ライターとして活動していく上で身につけておいて損のない知識ではあろうと思うので、資格取得を決意。とりあえず↓のテキストを読み進めているところだが、術語が多くてなかなか読み進めにくい。知識取得時の常套手段である、問題集の問題を解きながら知識を身につけるという方法への移行を検討中。

 

 

TOEICについては900点奪取を目標に学習中ではあるのだが、最近はほとんど手がつけられていない。やんなきゃ自責の念が募るだけなので、そろそろ本気で取り組みなおしたい。

 

歌は、力まず声を出すことを練習中。具体的には一人でカラオケに行って、キーを全盛時より4から5つ下げて、そのキーで最高の高音を出すことで喉を振り絞るのではなく、腹から声を出すことを意識している。原キーで歌うと、稲垣潤一一曲だけで喉がぶっつぶれる(笑)。

 

筋トレは、先日パーソナルトレーナーにメニューを作ってもらったのだが、最初から張り切りすぎて負荷をかけすぎてしまい、腰やら脚やらが痛くて仕方ない状態となったので、仕切り直し。まずは軽い負荷で、正しいフォームを身につけることに目標を切り替えた。こいつに関しては、やればやっただけ着実に効果が現れることがわかっているので、実践あるのみ。今日も夕刻から実施予定。

 

さて、田舎に引っ込むと、絶対の必需品となるのが自動車。今までは1台でなんとかしてきたが、実母義母共に免許を返上し、いろんな用事に付き合わさせられる機会が増えたし、夫婦二人でスケジュールが異なることも多くなりそうなので、車を一台増やすことにした。現在使用している車が、来年で10年目を迎えるので買い換えるのに加え、最高権力者様用の軽自動車を1台買い足すことにしたのだ。昨今の原材料費、人件費の高騰、多種多様なオプション購入もあって、軽とはいえ値が張り、現在使用中のコンパクトカーよりも高くなってしまった。最初の見積もりから、交渉によって最終的にどのくらいの値になったかを書き綴ると、どこかの漢字もろくに書けないような中古車屋の経営者とその取り巻き連中から心無い中傷を受ける可能性があるので(笑)、詳らかにはしないが何しろ、車は高い。これから困窮生活に陥る可能性だってあるというのに物要りだよ、全く。

 

思い出を出来事として客観視することが全て 『毒親育ちさんがネガティブ思考で「しんどい」と思ったら読む本: 過干渉で、過保護な親に育てられた私も変われた!』読後感

 

長い題名だな、しかし。ブログのタイトルにするのに制限字数超えないかと心配した。

 

などという薄っぺらな感想はさておき、会社生活から逃避している今現在、私にとって一番のストレスとなっているのは母親との関係である。有料老人ホームに入居しているため、せいぜい週に1回しか会わないのだが、何しろあっている時間は常にストレスフルだ。老人ホームでの日々の出来事を語っているくらいならいいのだが、すぐに「私は母親として息子のお前のことを精一杯心配して生きている」アピールが始まり、年端もいかない幼児に接するように説教を垂れたがる。私に言わせれば、私のためというよりは、私に対して「役に立つことを言った」という安心感を自分が得たいがための行為だ。しかもこっちの意向など全く考えずに、自分が満足するまでとにかく同じ言葉を繰り返す。最近はこちらも慣れたもんで母親が説教くさいことを言い始めたら即「んなこたぁー言われなくたってわかってんだよ。わかってることをいちいち繰り返すんじゃねーよ」とピシャリと言い放って、それ以上は話させないようにしている。でもこういうことを繰り返していては母親のアタマの状態には良くないのではないかという疑問は常に生じる。自分自身のココロの状態が良くない中で、こうしたストレスは普段にも増して重荷となる。結果として、母親との時間は常にストレスの元となるのだ。

 

そんな中で毎日のルーティーン、Kindleでその時々の気になっているワードで検索をかけた際にリストアップされたのが標題の書。首尾よくKindle Unlimitedにもなっていたので、即DLして読んでみた。

 

内容は、認知行動療法そのもの。今までのネガティブな出来事を、その出来事の際に生じた感情に囚われることなく客観的に捉え直すことを勧めている。ただし、捉え直そうにも、自分の中には、自分を否定する存在としての「毒親」が必ず存在するので、その「毒親」から自由になることが肝要だというのが主旨。どんな方法でココロの中の「毒親」を追い出すかについての具体的な手法については是非とも本文に当たっていただきたい。

 

この本を読んだ直後、AmazonPrimeにちょうど↓のドラマがラインアップされた。

 

 

このドラマ、リアルタイムでも観ており、なかなかの佳作という感想を持っていたため、改めて観直したのだが、まさに「毒親」とその被害者を描いたドラマだった。主人公の観山寿一は能の宗家の嫡男。幼い頃から父親の人間国宝観山寿三郎に厳しい稽古をつけられてきたが、ついに寿三郎からは能に関しては「認めて」もらえず、思春期に家を飛び出しプロレスラーとなった。このプロレスラーという職を選んだのも父寿三郎がプロレスファンだったから。寿三郎は病に倒れ、その介護のために家に戻った寿一は、今度は寿三郎のさまざまなわがままに振り回されることとなる。ここでも精一杯に尽くしているのにまた「認めて」もらえない。

 

寿一がブチギレて寿三郎の介護を投げ出すと宣言したシーンを観ている途中で、私と同じではないか、という思いがピンと閃いた。

 

私は結局母親に「認めて」もらっていないからイラついているのだ。学生時代はいくらいい成績を上げても「一番をとったわけじゃない、上には上がいる」と言われたし、社会人になってからも「東大に行った同級生は年収二千万だ」「ぼやぼやしてたら出世できない」と尻を叩かれた。挙げ句の果ては、私を「困ったことがあれば親に縋り付いてくる存在」だと幼児扱いしてオレオレ詐欺に2度も引っかかった。今だって何かにつけては説教したがる。全て私を一人の大人として「認めて」いないからこその所業。そのことに怒りを覚えていたのだ。

 

このことに気づき、その上で母親なんていうちっぽけな存在に「認めて」もらえないだけで腹立ててりゃ世話ねーわ、という気持ちにもなった。これじゃ、確かにイヤイヤしているガキと一緒じゃねーか、あはははは。今となっても母親の影響は無視できないとはいえ、私はもう独立した大人なんだし、母は幼児がえりしてるんだ。こっちがガキに接するように親に接すればいい。そう思うと少し心が軽くなった。

 

本とドラマの偶然のシンクロニシティーで、思わぬ気づきをもらった。とはいえ、まだ、母へのイラつきを完全に消し去るまでには至らないだろうから、気の持ち方への模索は続く。

 

 

 

 

支離鬱々日記Vol.191(休職日記28 反転攻勢に向けてお題に答えてみる)

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

 

休職して早1年と3ヶ月弱。息をするのも苦痛で布団から起き上がれないなどというほどの深刻なうつではないが、それでもやる気がみなぎっているという状態からは程遠い。書かなきゃいけない文章は、いくつかあるのだが、なかなかそいつらに取り掛かるのが難しい状態が続いていて、そのことが新しいストレスのタネになり続け、ますます何もできないのが昨今の状況。で、結局何をしているかというと、携帯のゲームをしながらTVerかAmazonPrimeで昔のドラマとか映画をダラダラ視聴して時間を空費する。まあこういう日がたまにあるのは仕方ないが、毎日続くとヤバい。空費している時間は何も生み出さないし、ずっと同じ姿勢でいるので、血流が滞ってカラダにも悪影響を及ぼすのみだ。

 

というわけで、今日はまずカラダからなんとかしようと思い立って、契約しているジムに行って、トレーナーにメニューを作成してもらった。まだまだラグビーの試合に出ることを諦めたわけではないし、たるんだカラダをなんとかしたいというのは長年の課題でもあった。今の、気の向いたマシンを適当にやるようなトレーニングの仕方ではどちらに対しても効果は薄いと感じてはいたが、今までは具体的なアクションを起こしていなかったのだ。

 

なんとか今の状況を打破する起爆剤にしたいという思いで、かなり熱意を持ってトレーナーに指示を仰いだ。

 

今回のメニューは週3回通うことが原則で、それぞれ胸の日、背中の日、脚の日として、完全に鍛える部位を分けてしまうものとなった。例外は腹筋で、これは毎回やる。それから、私の独自案として最後にチャリンコマシーン漕ぎを加えることにもした。

 

で、今日は早速「背中の日」に認定して提案されたメニューをやってみた。

 

愕然とした。記憶にあるウエイトの半分程度しか上げることができなかったのだ。以前から下半身に比べ上半身が弱いことは認識していたが、それでも、それなりに鍛えたはずだったのだが。隣で、かなり細身のにーちゃんが私よりも重いウエートのダンベル持ってトレーニングしているのを見て、悔しいというか、情けないというか、悲しいというか、それらの感情が全て合わさった、寂しさのようなものを感じた。

 

とはいえ、私ももうアラカンなので、無理にウエイトを上げてしまって怪我でもしたら逆効果になってしまう。自分のできる範囲で最大限の負荷をかけて地道にトレーニングを積み上げて、来シーズンからの本格復帰を目指す。というわけで、私が習慣にしたいのは筋トレだ。決めた通り週に3回はジムに通って、それぞれの日のメニューをこなす。他に週に1回しかいけない場合のメニューも組んでもらったので、できれば週4回通って「全部乗せ」メニューも1回こなしたい。思えば前3回の休職時はまず朝イチで2時間ほどトレーニングして1日が始まっていた。今回はだいぶ遠回りをしてしまったが、また、カラダを鍛え上げることでココロの状態を改善するという方法を採っていく。

 

だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない…… 『起死回生-逆転プロ野球人生-』読後感

 

私の好きなプロ野球蘊蓄モノ。

 

FA制度や現役ドラフトの導入、さらには人気、実力を兼ね備えた選手が続々とMLBに出ていってしまうドライな昨今においては、トレードに関してのネガティブなイメージは薄まりつつあるものの、まだまだ「球団として戦力とは考えていないからこそ放出された」と見る向きは多い。つい20年くらい前まではなおさらのこと。特に巨人や阪神といった人気球団からパリーグの球団に放出されると思いっきり「都落ち」などと書き立てられたものだ。

 

しかし、人気のある球団は選手層が厚く、余程の実力も持ち主か、あるいは一芸に秀でているなどの特色を持たない限りレギュラーに割って入るのは難しい。その他に、監督やコーチ、フロントの人間との諍いなどの「人間関係」も起用に影響したりする。実力はそれなりにあるのに、プレイ以外の原因で出番がなくて腐っている人物は想像以上に多いと思う。

 

標題の書には、腐っていた一時期を経て、球団から見放されて新天地に赴いた後に大輪の花を咲かせた選手が30人紹介されている。

 

私個人として一番印象に残っているのは世にいう「江川騒動」のあおりを受けて、巨人から阪神に移籍した小林繁氏だ。当時巨人のエースだった小林氏は阪神に指名を受けながら巨人以外は入団拒否の姿勢を強硬に主張した江川卓氏との変則的な「交換トレード」という形で阪神入り。その年、巨人戦に負けなしの8連勝を飾り、「元巨人のエース」の意地を見せつけるとともに、最多勝に輝き、沢村賞を受賞とキャリアハイの堂々たる実績を残した。当時は、小林氏が巨人戦に登板した際は小林氏を応援した巨人ファンは多かったのではないか。少なくとも私はそうだった(笑)。他にも巨人から中日に移籍し、移籍初年度に20勝を挙げた西本聖氏、落合博満氏との1対4トレードの一員として、兄貴分と慕う星野新監督の元からロッテに移籍した牛島和彦氏などが印象に残っている。

 

こうした、逆境にあっても挫けずに大輪の花を咲かせた人物は、ニッポンのサラリーマンにとっては我が身を投影しやすい物語の持ち主たちだ。「環境さえ変われば、俺だって活躍して見せる」と思いながらも根強い終身雇用制神話と養わなけばならない家族に縛られて、心ならずも、嫌な職場に留まり続けている人は、おそらくは岸田内閣に不支持を突きつけた人数よりも多いはずである。王や長嶋、近年でいえば大谷みたいに突出した実力あるスーパースターにはなれなくても、いい環境といい上司、仲間に巡り合いさえすれば、クリーンアップの一角くらいは任せてもらっても恥ずかしくないくらいの活躍はできる。そう思いながら鬱々と過ごしている人々にとって、最も自己を投影しやすいのがこの書に紹介されている30名の選手たちだ。

 

作者中溝氏は、各々の選手たちがターニングポイントを迎えたことを、この記事の題名にも挙げた「だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない……」という言葉で表し、その後の快進撃の記述につなげている。残念ながら私はこの言葉の後にそれこそどん底に突き落とされた記憶はあるが、大逆転して人生が一気に薔薇色に染まったという経験はない。今の努力が、大逆転につながることを信じて研鑽を積み続けていくのみである。

 

 

 

アタマがいいだけでは渡って行けないのが世間と言うものではあるけれど 『高学歴難民』読後感

 

 

 

私の大学時代、農村の嫁不足が深刻化し、中国から女性を引っ張ってきて、農家の後継者の嫁に据えることが「流行」した時期があった。私は社会学の一分野としてカテゴライズされていた専攻に所属していたので、当時はそうした中国人妻と、日本の農村の旧弊なしきたり、人情といったものとの衝突およびその解消といったムーブメントに大いに興味をそそられていたし、同じ専攻の仲間たちとも話し合ったりもした。そんなある日の雑談時にとある院生の先輩からは苦笑混じりに「いや、農村の嫁不足も深刻ですが、僕ら大学院卒業者の嫁不足だって深刻ですよ。」という言葉が出た。

当時は、「まあ、大学院に進んじゃうと研究が忙しくて、出会いがないんだろうな」くらいにしか思わなかったが、実はもっと現実的な問題が水面下に潜んでいた。実は院卒者はなかなか「食えない」のだ。

よほど優秀でない限り、准教授や教授などの「生活が安定した」職業につくことはできないし、仮にそうした教育者、研究者としての職を得るにしても長い間、ほぼ無給の助教という立場を経なければならない。で、こうした時期はいわゆる「結婚適齢期」と重なる。

学問の場での研究者という立場を諦めたとしても、特に文系の場合、一般企業には院卒であることが逆にネックとなって就職しにくいというのが実情のようだ。たしかに、一般のメーカーなどに文系の院卒者が新卒で入ってくる例は非常にまれだ。また、私が就活していた頃某シンクタンクなどは「院卒でないと一人前の仕事は任せてもらえない」などという噂が流れたことがあったし、もちろんそういう職場も存在はするのだろうが、こちらも教授などと同様狭き門だ。

それではと、いままで培ってきた「学力」を活かして学習塾などに就職してみても、今度は「教え方が悪い」という評価を生徒の方から下されてしまう例が増えているそうだ。学習塾は大学院のように、体系的、専門的な知識を身に付けることを目的とするのではなく、受験突破という目的に絞った指導が求められるため、受験突破のテクニックを効率よく教える「プロ」が必要とされるが、いかに地頭はよくても「教える」テクニックを持っていない講師は生徒から否応なくNOを突きつけられるというわけだ。

そんなこんなで、高学歴が足かせとなって、転落人生を歩んだ人の生々しい実話がいくつか紹介されているのが標題の書。

私自身も、一時は単にモラトリアムの時間を伸ばすためだけに大学院進学を考えた時期もあったのだが、「自分は大学院を出て一体何がしたいのだろう?」と考えたときに、何も答えが出てこなかったので、その道は断念した。実際は大学院に進めるような優秀な成績をとっていなかったからだが(笑)。

筆者の阿部恭子氏は主に「加害者家族」のケアに携わってきた人物。本人たちには罪がないにも関わらず、身内に犯罪者がいると言うだけで、社会から爪弾きにされ厳しい生活を強いられ、しかもその状態から脱却する手立てがほとんどないという絶望的な人々だ。「高学歴」という武器があるからいざとなりゃなんとかできるだろうと思われがちな高学歴難民たちも、数が少ないからなかなか社会から注目を浴びることがないと言う点では共通しており、なかなか苦境からの脱却が難しい。

せっかく大学院まで進める賢さがある人材たちなのだから、なんとかその頭脳を活かす工夫はないものだろうか。短兵急に結果だけを求められ、こうした人材たちを自由に研究に打ち込ませなることができない余裕のない社会からは独創的な発見は生まれてこないのではないかと思う。「普通」に生きている人々からは思いもつかないような発想や発明が出てくるのが現代の「文人墨客」たる高学歴な人々の主な役割だ。同じ文化的なことに金を使うのなら万博を開くよりも、こうした「文人墨客」たちを手厚く保護する政策の方がよほど役にたつと思うのだが、いかがだろうか?

 

支離鬱々日記Vol.190(休職日記27 お題と徒然)

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

まずはお題を片付けてしまおう。

 

お題とは全く逆の方向性のネタだが、最近の私は消化器系が思いっきりトラブっていて、何を食っても美味くない。一昨日などは、左脇腹下部がシクシク痛み、全く食欲がなかったので固形物をほとんど口にせず1日寝床で過ごすという体たらく。食い物に対しての執着は人後に落ちないと自負しているが、空腹を感じて何かを口にすると、数十分後には吐き気を催すという状態ではまともな食事なんか摂りようがない。

 

原因はおそらく、リベルサスという食欲抑制効果のある薬の副作用、いや、食欲は見事に抑えられているのだから、作用が強すぎたというべきか。おかげで体重は確かに減ったのだが、日常生活にまで支障をきたすようになっては本末転倒もいいところ。主治医に今の状態を有体に述べて、薬剤の量を半数に減らしてもらったが、まだ吐き気等々を引きずっているので、普通の食事を摂るところにまでは回復できていない。特に大の好物だった油ものなんか、考えただけで吐き気がする。ちょっと前の悪友たちとの飲み会でも、次々と追加注文する友人たちを横目に完全なる割り勘負けに甘んじた。年を食ったってことなんだろうな。作用は少々きつすぎたものの、よい方向に向かっているのは事実なので、油ものを避けることは続けていきたい。

 

ここのところ、選手紹介の連載記事こそ書いているが、試合の結果を踏まえた即時性の高い卓球ネタに関してはちょっとご無沙汰している。知識不足を露呈して袋叩きにあってしまったからちょっと手が出しにくいというのもある。五輪代表選手のポイント付与方法とかコロコロ変わっちゃって非常にわかりにくい。いっそのこと、素人丸出しで、そのわかりにくさを糾弾する記事でも書いてやろうか(苦笑)。そんなことをすれば即座に抹殺されかねないのでしばらくはネタを温めておくことにする。ラグビーネタも今のところちょっとネタ枯れ状態。他に手を出せるとすればプロ野球くらいだが、こっちに関しちゃ大抵のネタはもう掘りつくされている状態。自分がかけそうな記事をヤホーとかで見るたびに焦燥感を感じるのだが、ネタがないから書きようがないし、ネタを探している暇があったら、今請け負っている別口の記事を先に書き上げなきゃいかんし、と「忙しい病」が発動してしまう。体調が悪いこともあるので、できることからコツコツとやっていく。結局はそれが一番の早道。

 

ブログも今月はまだこの記事含め3本しかアップできていない。全方向に触手を伸ばしているこのブログですらアップできていないのだから、文筆やら自己啓発に絞った別口の方なんか全くのネタ枯れ。自己啓発に繋がる本はもとより、楽しみのための読書もしてないし、映画も観てないし、ラグビー観戦もしてない。帝京と明治の試合だけは原稿のために観たし、それなりに満足いく原稿が書けたのでよしとしておこう。読書と言えば、Kindle Unlimitedのコミックばかりだし、TVはもっぱら過去のドラマかバラエティーしか観ていない。iPadでゲームやることで時間を浪費する毎日。ココロにもカラダにもいいことのない日々ばかりが積み重なってきている。まずはカラダを動かすことから始めようか。なにしろ何か変えていかないことにはただの引きこもりになってしまう。猶予期間にはまだ余裕があるとはいえ、本物の引きこもりになってしまっては意味がない休養になってしまう。会社に戻るか否かは別にしてQOLを高めることだけは心がけていかねばなるまい。今はあえて努力という言葉を使わず、その日その日、一番快適で、かつ健康的なことを積み上げていくことにする。

 

今回は徒然というよりは自分に対しての公開説教になってしまった。とりあえず、心の中のモノは全部吐き出したので、あとは実践あるのみ。