脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

まだまだ活躍して欲しかった人物 改めてご冥福をお祈りいたします 『強い組織をつくる 上田昭夫のプライド』 読後感

 

 

上田昭夫氏の早すぎる晩年を記したルポルタージュ

 

上田氏といえば、低迷していた母校慶應義塾大学を二度に渡って大学日本一(うち一回は社会人チームを破っての日本一も達成)に導いた名将として名高い。入試の難度が高く、早大や明大といったライバル校に比べ、人材的な不足感が否めないという環境下でいかにしてチームを強化し、日本一にまで導いたかに関しての「苦闘記」に関しては、当時それこそさまざまなビジネス誌で取り上げられたし、管理職者の心得やらノウハウやらとしてさまざまな形で世の中に「流通」した。

 

上田氏の指導方針の根本は「メンバーたちの『好き』をいかに引き出すか」であるというのが私個人の理解。上田氏はカラダの大小に関係ないラグビーという競技に取り憑かれ、プレーヤーとしてチームとして勝つにはどうしたら良いかについてさまざまに試行錯誤して突き詰めていった。そしてその突き詰める過程そのものも楽しんだ上できちんと結果も出したのだ。その経験から、指導者から強制されるのではなく、選手自身に勝つためになすべきことを考えることが楽しいと感じさせるにはどうしたら良いかを考えて指導したのだ。

 

好きこそものの上手なれとはよく言われる言葉だが、努力することを苦ではなく楽しいと感じることができればいつまでも努力することが可能だし、努力が成果に結びつきやすくもなるだろう。そうなればしめたもので、勝手に成果はついてくる。

 

こうした考えは、慶應の監督を退いて、女子ラグビーや少年院の少年たちへのラグビー指導に携わるようになってから、より進化していった。プレーヤーたち一人一人の特性や考え方をしっかり把握してきめ細かい指導を行う。そうした指導を本格的に実施し始めたところで残念ながら病魔に冒されてしまったのだ。

 

著者大元よしき氏は、上田氏がフジテレビのキャスター時代に綴っていたコラムの後任者として上田氏に見出された。そこから親交が始まり、上田氏が秩父宮ラグビー場で担当していたミニFM局でのラグビー試合解説番組にコメンテーターとして出演したり、少年院での指導を手伝ったりする中で上田氏の人となりを深く知ることになった人物である。標題の書も、本当は慶應の監督時代のお話よりは、特に少年少女に対して今後ラグビーの魅力をどう伝えていくかに紙幅を多く割く予定だったそうだが、残念ながら、志半ばにしての遺書という趣が強い書に仕上がってしまった。

 

上田氏は2015年7月に難病とされるアミロイドーシスにより逝去されたが、それから早8年。上田氏はジャパンの「ブライトンの奇跡」も初の世界8強進出も目にしないままにお亡くなりになられたが、世界の強豪との差が縮まった現在にこそ、上田氏のような指導者に若年層の指導を任せられたら、ラグビーの裾野はもっともっと広がったのではないかという思いを強く持った。改めてご冥福をお祈りいたします。

これはバックスの視点 『脱・筋トレ思考』読後感

 

脱・筋トレ思考

 

ラグビー元日本代表にして、現役引退後は合気道などを深く学び、カラダの有効な使い方を研究し続けている平尾剛氏の、トレーニングに関する「哲学」を記した一冊。

 

平尾氏の解くところは明快だ。筋トレをガンガンやって筋肉を「つける」よりも、必要な技術を身につける間に「ついた」筋肉こそが競技の場で最も力を発揮する。ゆえに、マシンやダンベルで無理やり筋肉をつけるよりは、自らの感覚を重視したり、必要な技術をしっかり練習することで結果的に筋肉がついてきた、という状態こそが最も望ましいというものだ。平尾氏自身が、無理に筋肉をつけるための筋トレを行った結果として、カラダが重くなり、最も得意としていたステップワークに支障を生じたという経験から導き出した結論だ。

 

そして、筋トレ偏重の考え方に疑問を呈した平尾氏は、過酷な筋トレを強いることは勝利至上主義につながり、選手の肉体を損なうばかりか、とある大会以降の選手の競技人生、さらには人生そのものも歪めてしまうとも述べている。

 

私は中高と剣道をやっていた。剣道という競技は、基礎体力はもちろん必要だが、それ以上に平尾氏の言うところの自分自身の感覚や、間合い、技を繰り出すタイミングなどの方がモノを言う。そして、そうした「筋肉以外」の部分を鍛えるにはやはり、実戦に近い稽古を繰り返すことが一番だ。そういう稽古を繰り返すことで、私の場合は結果的に筋肉もついてきた。

 

ゆえに、平尾氏の主張はよく理解できる。毎日ただ走ったりダンベル持ち上げたりしてりゃ、試合に勝てるわけではない。早く動くのに必要な筋肉や基礎体力は必要だが、それ以上に相手との駆け引きや間合い、呼吸の方が重要だというのは事実だ。

 

ラグビーに関しても、バックスは剣道と同じように「筋肉以外」の部分の鍛錬が重要であることは理解できる。一方でこれはやはり平尾氏のポジションがバックスであったことによるやや偏った見方であるようにも思う。

 

バックスはいかに相手に捕まらずに前進できるか(トライできるか)が勝負で、バックスのプレーシーンでは確かにパスの技術やステップのタイミングなどの感覚を研ぎ澄ますことが重要になってくるだろう。

 

しかし同じラグビープレーヤーでもフォワードは違う。バックスにも共通するような技術を持ち合わすに越したことはないが、相手を止められない第三列、ボールの争奪戦に勝てないロック、スクラムの弱いフロントローはいかに技術が高くてもセンスが良くてもフォワードには必要ない。フォワードに一番求められるのはパワーであり、そのパワーを十分に発揮するための勇気だ。勇気はともかく、少なくともパワーを身につけるには筋肉を太く、強くするためのトレーニングは不可欠だ。ゆえにフォワードに関しては「結果的に筋肉がついた」などとまどろっこしい練習だけをしているわけにはいかない。時には無理にでも筋肉をつけるようなことも必要となってくるように思う。

 

どんなトレーニングを行うにせよ、一番肝心なのは「自分で考えて納得した上で行う」ということだろう。何でもかんでも指導者の言うことを聞いてりゃいいってもんでもないし、サボってちゃいつまで経っても何も鍛えられない。試合や練習の場で、自分に不足していることは何で、その不足分を補うためにはどんなトレーニングが必要かをしっかり考えて鍛えていく。方法が間違っていたり、自分に合わなかったらその方法に固執せずに柔軟に変えていく。こうした方針は「自分で考える」ことの鍛錬にもつながるだろう。

 

中学や高校などのステージでは、厳しい指導者の方針に従った者しか試合に出られないなどということもあろうが、そうした体験は次のステージで活かすことを考えて、適度に距離を保っておくことも大切だ、と言う平尾氏の主張には賛同できる。一番肝心なのは、中学、高校レベルの指導者から「勝利至上主義」を排除することだろうが、それは残念ながら一朝一夕で為るお話ではない。今の所は個人で「対策」を持っておく他はない。

 

物語の終わりを予感させる一作 『座頭市御用旅』鑑賞記

 

26作ある「座頭市シリーズ」の23作目。

 

言わずと知れた、ダークヒーロー座頭市の居合い抜きの妙技をいかに鮮やかに魅せて、観客にカタルシスを与えるかが生命線のこのシリーズ、いい加減ネタ切れになってきた作品だったようだ。

 

ストーリーのフォーマットはもう決まっている。あとはテリング、すなわちキャストや舞台設定の細部にこだわるしかない。

 

というわけで、敵の親玉鳴神の鉄五郎に三國連太郎野州・塩原の宿の治安を預かる十手持ち藤兵衛に森繁久弥というビッグネームを配役。さらにコメディーリリーフには笑福亭仁鶴正司敏江・玲児という当時の人気者を持ってきている。他にも鉄五郎の子分に石橋蓮司蟹江敬三といった、後に個性派俳優としての地位を確立する面々、市と剣技を競うことになる役回りの浪人、相良伝十郎に高橋悦史、ヒロイン的な役割のお八重に大谷直子と当時の新進気鋭の俳優陣を起用している。

 

さらに、テーマソングはいわゆるポピュラーソングというか当時でいう歌謡曲ではなく、浪曲師をフィーチャーしており、浪花節独特の重苦しい雰囲気を作品全体に纏わり付かせることには成功している。

 

三國連太郎氏は『飢餓海峡』で見せたような複雑な悪役ではなく、単純に極悪非道なヤクザの親分という役どころだったが、ギラギラした表情と目力で典型的な悪役を演じ切っていた。森繁久弥氏はコミカルさを封印して、義に厚い十手持ちを見事に演じていた。

 

その他の俳優陣もそれぞれの役割を演じ切って見事な物語として完結してはいたのだが、いかんせんフォーマットが定型化しすぎていて、新鮮味には欠けた。そろそろ物語を終える時期が近づいたのだということがはっきりしてきた一作だったように思う。

 

個人的には、シーンの一部として、往年の敏江・玲児のどつき漫才をちらりと鑑賞できたことがちょっと嬉しかったな。

 

 

支離鬱々日記Vol.165(年末恒例私的十大ニュース+漢字一文字)

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

毎年恒例のネタ行ってみたいと思います。ついでにちょっとお題にも引っかかってますな。

 

第10位 サッカー日本代表W杯予選で強豪撃破

のっけからのパブリックネタ、ご容赦の程を。私は偏向したラグビーファンなので、実際の試合を観るまで熱中したわけではないが、予選でドイツ、スペインという優勝候補を撃破したのには驚いた。特にスペイン戦の勝利は予想し得なかった。二戦目の格下コスタリカに敗北したことで、ドイツ戦の勝利はフロックだし、スペイン戦はボロ負けだろうなと予想していた。大変失礼いたしました。どんな状態になっても最後まで諦めないことが勝利につながるという大原則を改めて思い知った出来事だった。8強の壁を突破できなかったのは残念だったが、まあ、これは次回までの楽しみにしておこうと考える私は典型的な俄ファン。

 

第9位 巨人シーズン4位で終戦

パブリックネタ続き。戸郷の一人立ち、大勢やウォーカーなどの新戦力の台頭、中田翔の復調などの明るい材料はあったものの、菅野、坂本に衰えが見られ、岡本も「ライバル」村上に成績面で大差をつけられるなどのマイナス要素の方が多く、残念な結果となった。オフにはFA宣言した大物たちにもことごとく嫌われて、得意の金満補強も不発。ドラフトでは将来性を買って高校生の浅野翔吾選手を一位指名。それは良いのだが、直近の来シーズンはどうなる?という大きな疑問が湧く。育成と勝利両方を求められることの難しさは理解できるが、その両方をうまく噛み合わせてきたのが巨人の伝統。なんとか来季はいいシーズンにしてもらいたい。

 

第8位 今年もラグビーはTV桟敷での観戦のみ

コロナ禍に体調不良もあり、今年もラグビー実戦はおろか練習にも一度も参加しなかった。ラグビーをやるに足るだけのトレーニングもできていない。

また、住居を田舎に移したことにより、秩父宮その他東京地区での生観戦からも足が遠のいた。というわけで、今の私とラグビーとのつながりはもっぱらTV観戦である。春から夏にかけては、そのTV観戦は小遣い稼ぎ程度の原稿書きには繋がったが。やっぱりラグビーはプレーしてナンボ、生で観戦してナンボだ。実戦後、観戦後の飲み会まで含めて十分に楽しめる日々が来ることを切に願う。

 

第7位 学習進まず

現在の居住地である土地と会社の勤務地とは在来線で片道2時間半かかる。往復して帰宅するともう何もできないほど疲れる。そんな中で会社は来年以降週に三日以上出勤しろとか言ってきている。まあ、コロナ禍が解消したらいずれこんな状態になるとは思ってはいたものの、今の、会社の仕事なんぞ一分一秒たりとしたくないという心理状況から、週三日出勤に急に切り替えろってのも難しいお話。そんなわけで、郷里移住前の「TOEIC900点以上取って地元の塾で英語講師に就任」という考えが急速に現実味を増してきている。

とはいえ、今年はほぼ学習せずにぶっつけ本番で臨んでばかりだったので、3回受験したものの、900点はおろか800点も超えられないという結果に終わった。現在の休職期間中に英語を勉強するという習慣を確立し、是非とも来年は900点突破を果たしたい。今やTOEICの結果は生活に直結する一大事と化してしまった。なお、メンタルヘルスマネジメント検定Ⅰ種は今年は受験すらしなかった。当然全く勉強していない。来年はほぼまっさらの状態から再始動である。

第6位 郷里暮らしが1年

昨年10月に郷里に移住してから1年超が過ぎた。30数年ぶりの我が郷里は表面上は全くの別物に変化していたが、なんのなんの、人情や文化風俗には私がこの地で暮らしていた頃の特色がまだまだ残っている。私も最高権力者様も同郷なので、こうした特色には違和感なし。

買い物する店もほぼ固定化してきたし、ご近所さんとも顔馴染みになったりして徐々に地域に溶け込んできているという実感がある。なかなかに快適な田舎暮らしではある。愛しの姪っ子ちゃんに頻繁に会えるのも嬉しい。

 

第5位 文筆活動本格化 

春ごろから、積極的に転職サイトで副業としての文筆活動の就職先を物色。首尾よく二つほどのサイトと契約できた。特に二件目の採用となったスポーツのサイトでは趣味であるラグビー観戦の目を活かして、十数本の原稿が採用となった。それなりに読者の反応もよく、大いにやりがいを感じていたのだが、夏過ぎにそのサイトが原稿の外注を停止するという事態に見舞われた。原稿料も高かったし、非常に残念な出来事だった。もう一件のグルメサイトもここ数ヶ月発注を受けていない。

 

その後は募集にエントリーしても落選続き。ソーシャルアウトソーシングのサイトからもいくつか記事を請け負ったが、大した収入にはなっていない。残念ながらまだ文筆だけで食っていける状況には程遠い。ただし、自分の中では文筆業で収益を得て、それを生活の糧とするという基本方針は固まった。そんな中、数日前にようやく1本の原稿が採用になった。ささやかな喜びだ。

 

第4位 伯父の死とその後

1月にずっと介護施設にいた伯父が85歳で死去した。中学卒業後に上京し、祖母と弟、そして末妹の私の母の家庭を支えるべく一所懸命に働いた人だった。一所懸命に働き過ぎて、ついに生涯独身だった。

葬儀から49日の納骨まで全て母が取り仕切った。とはいえ、母も衰えが激しいので、実務的なことは私たち夫婦にも降りかかってきた。一番もめた、というか今でも問題になったままなのが、祖母名義の土地、建物の相続問題だ。祖母が亡くなったときに、一気にカタをつけてしまえばよかったのだが、伯父の「お袋がせっかく買った土地を簡単に手放すというのは忍びない」という一言で、実際に住んでるのは弟の次女夫婦(私に取っては従妹)、固定資産税等の支払いはウチの母というわけのわからない管理体制で今まで来てしまった。伯父の気持ちもわからないではないが、今となっては、自分の死後に起こるかもしれないトラブルをちゃんと考えて、きちんと対処してから死んで欲しかったと、つくづく思う。まあ、死者に鞭打つような真似は流石の私も資格はないし、何をどう言ったところで死んだ人が生き返るわけではないから、なんとかしなくてはいけない。来年早々、従姉妹たちと協議しなければならない。

 

第3位 義父の死

先々週のお話である。このブログでも何度か経緯については書いているので詳細は省く。一時期はかなり危うい状態だったのだが、ここ最近は、知恵がついてきた初孫、私にとっては愛しの姪っ子ちゃんの相手をして、心身ともにピンシャンしていたので、突然の死というのがピッタリくる。私の友人たちの父母にあたる人の訃報を聞くことが多くなった昨今、つくづく私も歳をとったものだと痛感させられる。

 

第2位 母の衰え

いよいよ衰えに拍車がかかってしまったのが私の実母。動きはノロノロしているし、靴の脱着の際によく転ぶし、手は震えているしで目に見えて老化が進んでいる。年末には二度目となるオレオレ詐欺にころっと引っかかってしまった。とにかくまず何かあったらすぐに私の携帯に電話しろという指示を守らずに勝手に悪い方向に想像を走らせた結果だ。しかも電話をしなかったのは私の強い口調が原因だという責任転嫁と、言い訳でちっとも反省しない。警察から一人にしてはいけないという指示があったので、しばらく私が実家に泊まり込んだが、自分のペースでのべつ幕無し同じ話をくどくど話しかけてくる母の相手は正直キツかった。

そんなこんなで介護老人ホームへの入居を決めたのだが、入居希望のホームは現在コロナ感染者発生のため、すぐには入居できないとのことで、ショートステイという制度を利用して別の介護施設に一時預けている状態だ。

 

この介護施設もコロナ騒ぎがあったようで、今は一度入所したらなかなか外出許可をもらうのも難しい状態。姪っ子ちゃんのクリスマスパーティーにも年始の集まりにも呼べない状態というのは流石に可哀想な気はするが、勝手に引っ張り出してコロナでも持ち込まれたら施設としてはたまったもんじゃないだろうから致し方なし。世にいう「8050問題」の渦中に我が家も否応なしに引っ張り込まれてしまった。これも年周り的に仕方がないことながら、つい3年くらい前までの母は実に元気だっただけに落差の激しさに唖然としたというのも事実。

 

第1位 健康状態の悪化と休職

このブログでも何度か書いた通り、11月の中頃に帯状疱疹を発症した。疱疹そのものはもうすっかり消えているが、後遺症だろうか、まだ腹部に、急に腹筋運動をした次の日のような筋肉痛を感じるし、ちょっと動いただけですぐに疲れてしまうという状態は続いている。

 

帯状疱疹発症はストレスがその発症原因の最大のものと言われているが、実際今年は特にストレスフルだった。昨年末から拝命した仕事が実に面倒な上にやりがいなど微塵も感じられないものであったことのストレスが徐々に溜まっていたのが第一の原因。応募しては落選を繰り返した文筆業のショックが第二の原因だと思う。

 

そして年末に来て母の詐欺被害と義父の死。人生最大級のイベントが立て続けに発生したことが、心身のダメージに拍車をかける形で、休職の診断が出た。それも休職突入直後は、母の愛護施設入所の手続きやら、義父の葬式やらで心が休まる暇がなかった。ようやく先週になって一連のゴタゴタに一応の決着がつき、少しづつ心休まる時間が増えてきた。

 

職場のメンバーには迷惑をかけることになるが、少し腰を落ち着けてしっかり休もうと思う。最悪会社に復帰できなくても仕方ない。今回の一連のイベント発生はそれだけ大きなショックだったのだ。会社に復帰する以外の選択肢も含めた「再起」のための期間としたいと考えている。

 

今年の漢字「禍」。なんだかんだ言ってもコロナ禍が生活のいろんな局面に影響してきているし、身体の不調も身内の不幸な出来事も全て禍。今年の禍は今年のうちになんとか方をつけて、来年はいい歳にしたいなぁ。

 

 

ひたすらジェイソン・ステイサムの素手ゴロシーンを鑑賞すべき作品 『バトルフロント』鑑賞記

 

録り溜め死蔵寸前作品の中から引っ張り出した一作は、シルベスター・スタローン脚本、ジェイソン・ステイサム主演のバイオレンスアクション。

 

まあ、なんつうか、アメリカ版の「偉大なるマンネリパターン」とでもいうべき作品。家族を大切にし、静かに生きている、腕に覚えある男が、家族に危害を与えられたことで怒りを爆発させ、見事に敵を成敗する、というのが身も蓋もないストーリー紹介。

 

こういうガッチガチのフォーマット設定がなされている作品は、ストーリーテリング、すなわちキャストの個性がいかに活かされているかに注目するしかない。というわけで、じっくり腰を落ち着けてジェイソン・ステイサムの躍動する様を拝見した。

 

良きにつけ、悪しきにつけ、ジェイソン・ステイサムはマッチョな男を演じるのには最適だ。一人娘を守るために文字通り血まみれになって奮戦する姿は、もはやアメリカのどこを探しても見つからないノスタルジックな父親の理想像だろう。耐えに耐えていた怒りを最後に爆発させ、見事に敵を倒すシーンは「運び屋!!」(いうまでもないが、彼の出世作『トランスポーター』シリーズにちなんでます 笑)とでも掛け声をかけたいくらいの、思いっきりの見せ場なのだが、逆にいうと、ここしか見せ場がない。

 

物事を深刻に考えるだけのエネルギーがない際に、気楽に眺めておいて、最後の最後でカタルシスらしきものを感じることができれば、この作品を鑑賞した甲斐があったということになるのだろう。

ひたすら阿部サダヲを鑑賞すべき作品ではあるが… 『死刑にいたる病』鑑賞記

 

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女房殿のセレクションで借りた一作。

 

櫛木理宇原作の小説の映画だったようだが、原作については読んだことがなく、純粋に映画作品として鑑賞した。連続殺人犯榛村大和(阿部サダヲ)が一件だけ訴えた冤罪について、事実はどうだったのかを、大学生筧井雅也(岡田健史)が解き明かしていくというサイコミステリー。

 

まず、出だしの榛村の表情が秀逸。それこそ眉毛ひとつ動かすことなく、被害者の爪を剥ぎ取るというシーンにゾクゾク。この無表情を味わうだけでもこの作品を観る価値はあると思う。人懐こい顔つきでコミカルな演技に定評もある阿部氏が、とてつもなく怖い。

 

榛村の殺す人物には一定のルールがあった。成績がよく、真面目でルックスもいい中学生か高校生。特に手指の美しい人物。男女は問わない。彼のお眼鏡に適った人物を拷問小屋に連れ込んで、十分に拷問を加えて被害者に限りない苦痛を与えた後に殺す。ま、ある意味典型的な「美意識」を持ち合わせたサイコキラーの手口ではある。ただ、とにかく阿部サダヲが怖い。

 

二十数件にわたる殺人事件に関し、すんなりと事実を認めた榛村だが、最後の一件だけは冤罪であると強硬に主張している。最後の一件は被害者の年齢が26歳と、彼の定めたルールに反している上、爪はぎも行っていない。警察も弁護士ももはやまともに調べようともしない。二十数件の殺人事件だけで死刑は確定的で今更一件だけを云々しても仕方がない状態だからだ。

 

というわけで、なぜか榛村は周りの期待に反して、三流大学に通う大学生筧井雅也に再調査を依頼するのだ。雅也は中学時代、榛村の経営するパン屋の常連客で、厳しい父親から暴力を受けていたことを慰めてもらっていた間柄ではあったが、特別な関係にあったわけでもない。雅也はそのことに引っかかりを感じながらも榛村の連続殺人事件をもう一度洗い直す。

 

そしてその「捜査」の過程で、「実は…」という事実が次々判明し、謎が謎を呼ぶ展開となってくるというのが大まかなあらすじ。サスペンス故にネタバレさせてしまっては元も子もないので、ストーリー紹介はここまでにしておく。

 

繰り返しになるが、とにかく阿部サダヲが怖い。実際に拷問・殺人におよぶ姿が怖いのはもちろんだが、実は一番怖いのが、自分の意図のままに周りの人間を操る術に長けているところ。自らは手を下さずに、相手の罪悪感や恐怖心に訴えて自分の思うままに行動させる。例えば兄弟の一方ばかりを褒め、褒められた方には「期待を裏切ってはいけない」という恐怖感を与え、褒めない方には「期待に応えられていない」という罪悪感を抱かせる。そしてその上で、あくまでもその兄弟各々の意思として、お互いを傷つけ合わせるのだ。

 

こういう他人を操ることに長けた人物は私の小学校時代にもいた。暴力は悪だという教師の「錦の御旗」を掲げて私の腕力を封じ、その上で、取り巻きにじわじわと圧力をかけて、いつの間にか私を排斥していったのだ。おかげで、私の小学生時代は屈辱に塗れたものになった。後に中学にする際にはそいつは地域の中で一番優秀な生徒が集まる、さる大学の附属中に進学した。物理的に皆と離れて、そいつからの抑圧がなくなった途端、一気に呪いが解けたように皆が皆そいつをバッシングし始めた。毎日中学からの帰りにそいつの家の前まで行ってひとしきり大声で悪口を連呼したのだ。人の心なんぞ、あっという間にひっくり返るというのを感じた瞬間だった。私自身は、試験の結果により順位がはっきりついたことで、今まで馬鹿にしてきた奴らの遥か上に位置することが判明したので、逆の意味での手のひら返しを受けて、一目置かれることにはなったが、やっぱり、人の心が簡単にひっくり返ることへの薄気味悪さは残った。

 

自らの意思によるものだと思っていた行動が、実は他人の手によって仕向けられたものだとしたら?それが「常識の範囲」にとどまっている時はいいが、暴走するように仕向けられたらどうなるか?

いや、実に怖い。阿部サダヲの演技がこの作品としての最大の魅力ではあるが、根底に流れる恐怖もなかなかのものだった。

 

 

 

支離鬱々日記Vol.164(休職日記2)

先週頭から休職に入ったが、まあ、実に激動の日々で実際問題として、会社の仕事をしている時よりよほど忙しかった。

 

月曜の昼に一息ついたと思ったら、夕刻義父が逝去。元々基礎疾患持ちだったが、直前に家人がコロナ感染し、救急車を要請しても搬送先が見つからないという状況の中で、最後は苦しんだそうだ。かろうじて「生きているという状態を維持している」延命処置だけで生きながらえるのも可哀想だが、この唐突な死も実にもって気の毒だ。まだ事情をよく理解できない幼い姪が「じいじいない」と無邪気な顔をして言って、その後すぐにはしゃいで甘えついてきたことが救いでもあり、より深い悲しみでもあった。

 

搬送先が決まらないまま逝去してしまったので、一応遺体は司法解剖の上、検死されることとなり、「死亡」の法的な確定までにかなり長い時間かかったことも事態を複雑にさせた。何しろ検視の結果が出ないことには、葬儀その他のスケジュールが決まらないのだ。まあ、実際の取り仕切りは喪主である義兄が全て執り行ったので、我々夫婦は姪っ子のご機嫌取りをしていればいいだけだったが。何しろ落ち着かなかった。

 

火曜日夜には、母がお世話になっていた親戚の家でコロナ感染者が発生。その日だけはなんとか泊まらせてもらったが、水曜日には一旦実家に戻ってきた。というわけで、その日にはケアマネージャーさんに実家に来てもらって、ショートステイの手続き。ケアマネージャーさんは辛抱強くいろんなことを聞き取ってくれたが、何しろ、自分が気になったワードが出ると、話の本筋に関係なくどんどん自分の喋りたいことを喋り始めるので、私が口を挟んで、本来の話題に戻さねばならず、なんだかんだで2時間近く、母のおしゃべりに付き合わされた上に、その日は実家にお泊まり。実に疲れた。当初の予定では、次の週の頭から入所にしていたのだが、親戚の家に泊まれなくなったことから、木曜の入所を希望し、それだけはなんとか叶えられたので一安心。

 

そもそも、ショートステイという、いわば非常手段を取らざるを得なかったのは、入所を希望した老人ホームにコロナ感染者が出て、保健所の許可が出るまでは新規入所者の引き受けを止められているからだ。こんなところでもコロナの影響。

 

木曜日は夕刻から義父を荼毘に付した。姪っ子は我々夫婦の姿を見て喜んで、遊ぼう遊ぼうと誘うのだが、場が場だけに、一緒になってはしゃぐわけにもいかず、なんとかなだめすかして、遺体が骨になるのを待った。

 

設立からかなり経った公共の施設で荼毘に付した上、コロナの関係で、その日の最後だったため、納骨の場には、帰りは服についた匂いのため車の窓を開けて走らざるを得ないほど、強く匂いが残っていた。公共の施設のため、仕方がないのかもしれないが、もう少しサービスレベルを上げるべきではないか?などと不謹慎にも思ってしまった。まあ、皆が皆少なからぬ悲しみに打ちひしがれている場ゆえ、抗議の声などもあまりあがらぬだろうから、改善しようという機運にはなかなかならないのだろう。

 

金曜日に簡単に実家を片付けた後、ようやく半日空きができた。自宅の書斎には実に久しぶりに入ったという気がした。机の上には様々な郵便物や書類、飲み終えたペットボトルなどが散乱しており、改めて余裕がなかったことが感じられた。これじゃ、何も考えられないし、何か物を書こうという気にもなれない。まずは、机の上のノイズを全部片付けて、一日遅れで原稿執筆。心の端っこの方に押しやっておいた焦燥感を一旦解消。夜は久々に酒を解禁した。

 

土曜は義父の葬儀。自分たちの結婚式以来という親戚が何人も来て、挨拶をしながらも、名前と顔が一致しない。まあ、向こうもあんまり近付いては来なかったし、ここでも姪っ子が一番の人気者で皆の耳目を一斉に集めてくれていたので、なんとか助かった。ただ姪っ子も初めて会う人ばかりで、少し緊張していたらしく、ママに抱っこされたまま離れようとしなかった。読経の際はぐっすりと寝ていてくれたので、逆に手がかからずに済んだが。

 

葬儀後は、このご時世で会食等々もなかったので、親戚と少しだけ話をして早々にお開き。家に帰り、女房殿のたっての希望で、ケーキを買ってきて食ってようやく深いため息が出た。

 

実に疲れた一週間だったが、モノゴトは確実に消化しつつあるので、今週は少し、本当の意味でのお休みを摂れるだろう。しっかり休んで、次のステップを踏みたいと思う。