脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

最大の防御法はとにかく近づかないこと 『「エナジーバンパイア」から身を守る方法』読後感

 

現部署の一つ前の部署で、人の人生にまで踏み込んでこようとする上司や、何かと因縁つけてくるクソオヤジ(故人)やあからさまに無視を決め込んでいた後輩女子などに苦々しい思いを抱いていた時に見かけて衝動DLしたのは良かったものの、その後本格的に鬱を発症して休職に追い込まれてしまい、ずっとKindle内に溜め読だった一冊。つい最近何かの拍子に題名をちらっと見かけて、面白そうだと思って検索してみたら既に買ってた(笑)。というわけで早速衝動読み。

 

エナジーバンパイアとは、他人の活力を吸い取ってしまう吸血鬼のような存在。日々の付き合いの中で、「こいつと会った後は妙に疲れるな」と感じるような人物が当てはまる。本人が気づいているか否かは別にして、ネガティブなエナジーを周りに放出し続けている人物で、ネガティブなエナジーはポジティブなそれよりも往々にして強力なので、付き合っている人間は日々の活力を吸い取られてしまう上に、エナジーを吸い取られ続けていると自分自身も他人に対するエナジーバンパイアに陥ってしまうという、まさに吸血鬼のような存在だ。冒頭に挙げた人物たちなんかはそれこそ牙を剥いて襲いかかってきている非常にわかりやすい存在だが、日常で普通に付き合っている人の中にも潜んでいるから始末に悪い。

 

こうした人物たちへの究極な対処方法は、とにかく徹底的に付き合いを避けること。前述の上司などは、帰る方向が一緒だったため、その上司の異動後も何度か帰り道が一緒になりかけたケースがあったが、幸いにして、私の方が先に存在を察知できたシュチュエーションであったため、乗り込む電車の車両の位置をずらして対処した。何度か飲み屋でも顔を合わせてしまったが、この場合も幸にしてお互いにツレがいたため、直接会話を交わすことなく、とっととこっちが河岸を変えた。何しろそいつの存在はないものとして行動することが一番だ。

とは言え、どうしても避けることのできない環境というのも世の中には多々存在する。そうした場合に備え、エナジーバンパイアにはどんなタイプがいて、そのそれぞれにどう対処したら良いかについては本文に詳細に記してあるので是非ともお読みいただきたい。私は現部署にいる典型的なエナジーバンパイア腐り脳筋弱り毛根バカとの接触はほぼ100%断っている。業務上仕方ない時だけ、その業務に限ったメールをやり取りする程度だ。こいつの言動を思い出すたび、怒りが込み上げるが、こういう怒りなんぞは自動車の空ぶかしと一緒で単なるエネルギーの浪費であって全く意味をなさない。

 

さて、この腐り脳筋弱り毛根バカの他、私の身近にはエナジーバンパイアと呼ぶべき存在が二つほどある。

 

一つは現在奉職している会社だ。やりがいだなんだと散々無理難題を押し付け、いざこっちが実績をあげたら僻地への島流しという仕打ちをしたこの会社は、エナジーバンパイア以外の何者でもない。実際に会社の仕事をすると、それこそ他のことなど何もできないくらいに疲れる。金のためとはいえ、やりたくもない仕事をさもやる気があるように振る舞いながらやり続けるのは本当に苦痛だ。転居を機に、別の仕事に就くことを模索したものの、一旦は果たせずに終わったので、しばらくこのエナジーバンパイアとは付き合わざるをえないが、できうる限りのエナジーセーブを心がけたいと思う。この会社から得るべきものは金だけだ。

 

もう一つは、意外なことだが、現在当家が最も愛らしいと感じている姪っ子ちゃんだ。彼女と遊んで帰ると、夫婦してクタクタで、住居にたどり着いて一息ついたらすぐに寝落ちしてしまうほどだ。気に入らないことがあればそっぽ向いてるか、悪くすれば泣き出す。こっちが精一杯ご機嫌をとっても彼女が喜ぶかどうかはそのときの気分次第。いくら尽くしても振り向いてすらもらえない日だってある…、実に見事なエナジーバンパイアである。彼女に限らず、子供なんてのはみんなそんな存在だし、振り向いてくれたときの笑顔なんざみた日には一気に疲れも吹っ飛ぶ。吸い取られる分以上にポジティブなエネルギーも与えてくれるから、彼女はエナジーバンパイアという顔も持ちながらやっぱり本質は天使だ。

 

まあ、世の中にはこっちの意向などまるで無視して勝手な要求を突きつけてくる奴ばかりだから、こっちはこっちでその対応策を練っていかねばならないということだけは事実だ。そして、自分自身が周りを振り回す存在になっていないかどうかについても常にチェックは必要である。願わくば、自分からポジティブなエナジーを発して、自然とポジティブエナジーの持ち主たちが集まってくるような存在になりたいものだ。

ひろゆき氏の「視点」だけは見習う価値あり 『自分は自分、バカはバカ』読後感

 

 

日本最大の電子掲示板「2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)」の創始者ひろゆき西村博之)氏の心の持ち様を記した一冊。

 

リモート出演するTV番組などでは歯に衣着せぬ物言いで物議を醸し、また各種メディアでさまざまな人と論争を巻き起こしている方、というのがこの方に対する私の印象。直近では、やはり一癖ある物言いが特徴の堀江貴文氏をして「彼は論争のための論争をして、しかも自説を曲げることを一切しない」という趣旨の発言をせしめたが、飄々とした物腰ながら、確かにこの方、自説は曲げない。また、ネットで有名になった方につきものの、日々に有象無象から投げつけられる膨大な数の罵詈雑言にも動じない、非常に強い方だという印象も持っていた。こういう方を好ましいと思うか否かはちょいと脇に置いておいて、彼のこの強さは一体どこから来るのか、ということに興味を覚え衝動DLした。

 

結論から言おう。このかたは徹頭徹尾、物事を他人事としてみているのだ。ただし、無責任というわけではない。人柄云々への好悪は別として、本当に無責任な方であるなら、一緒に仕事をしようという人は集まって来ないわけで、やるべきことはしっかりやっているはずだ。ただし、自分のこととして悩んだり苦しんだりすることをしないのだ。直面している問題に対して、過剰な思い入れを持たず、感情的なお話は一旦脇に置いて、問題点の解消に絞った活動だけを行い、解決した後はもちろんのこと、拗れた場合でも徹底的に傍から見た視点で、ひたすら解決策を見つけて実行していくという姿勢だ。

 

彼のこの視座は徹底していて、自分自身をも他人であると捉え、内なる他人を効率よく働かせるにはどうしたらいいか、喜ばせるにはどうしたらいいかを考えているそうだ。

 

自分の取り巻かれた状況を客観視して、問題の解決のみに絞った行動に徹する…、出来そうで出来ないことの典型だ。問題が困難であればあるほど、「この問題が解決できなければ死んでお詫びしなければならない」という気持ちが募るし、逆に「この問題を解決できれば一段階上の人間になれる」などという過剰な思い入れも生じてしまう。

 

うそうそ。会社の仕事で失敗したところで、死ぬ必要はないし、首尾よく解決したところで、同じ部署の人間からちょっと賞賛されるだけのお話。広く考えたってせいぜい、失敗したままなら会社をやめなきゃいけないか、成功すれば給料がちょっと上がるだけのお話。その程度のことで深刻になるなんざバカもいいところだ。なんだかんだ言いながらも、幼少時から叩き込まれた滅私奉公を美徳とする考え方は心根の深部に文字通り根強く息づいているし、仕事に打ち込むこと=人間的な向上という考え方なんかは、もはや哲学も超えて宗教の領域にまで入り込んだド正論である。

 

なるほど、自分が望んだ仕事なら、その仕事上の課題を解決していくことは人間的な向上につながるというのは理解できるが、望みもしない苦役はいくらやっても苦しみでしかない。常々思っているこの意識を改めて認識しなおした。今、会社が私に与えているのは苦役でしかない業務だ。つまり、報酬に見合った仕事さえこなしていればよく、人間としての価値には影響しないと割り切ってしまえば良いのだ。

 

その上で、自分で望んだ仕事において、効率よく自分を働かせるためにどうしたらいいかを改めて考えてみることにする。おりしも、引っ越し作業に忙殺される時間が大半であろうとは思うが、まとまった時間、会社の業務からは離れることのできる期間を控えている。この期間内、自分の残りの生存期間において注力すべきことを再度認識しなおし、その対象に「本気」で注力するためには私という人間をどう動かすべきなのかを考えてみたいと思う。こういう視点を持つことの大切さを気づかせてくれただけでもこの本を読んだ価値はあったように思う。

 

 

 

 

支離鬱々日記Vol.124(お題と引越し準備とやっかいな仕事)

今週のお題「お風呂での過ごし方」

 

今ひとつ気分が乗らないので、こういうときの常套手段、「お題に乗っかってみる」ことにする。

 

基本的には風呂にはゆっくり浸かっていたいほうだ。湯船に身を浸しながら、読書するのが楽しみであり、習慣でもあった。時間をかけてゆっくりと読書するには、全身浴より半身浴の方が適していることから、新居の風呂桶は半身浴用の段差がついたものを選んだくらいだ。今までの借家の風呂桶たちはいかにも狭かった。

 

半身浴用に、手持ちのタブレットを持ち込むための防水カバーまで買い求めた。以前の機器を友人に贈呈したところ、一年ほどで中の電池がダメになってしまった由。風呂になんの対策もせずに持ち込んでいたからだろうと、原因について話したら「そりゃダメだよ」と爆笑と共に嗜められた。長期間で、少しづつなので気がつかなかったのだが、累積してみれば、まるまる三日以上は蒸し風呂状態の中にほっぽって置いたようなもの。そりゃ電池もイカレるわ、ということで急遽買い求め、それ以来入浴中に使用する場合はしっかりカバーをかけている。

 

山下達郎氏は、半身浴をしながら、電子書籍で買い求めた古いコミックを読むのが最高のリラックスタイムだそうだ。私も山下氏に倣い、しっかりと防水対策をしたタブレットで、半身浴と読書を楽しみたいと思う。

ちなみに最近は在宅勤務続きで、全く外出しない日々が長かったため、暑い時期だったにもかかわらず、入浴はおろか、シャワーすら浴びずに寝てしまう日も少なからずあった。「どうせ外に出るわけじゃねーし」と思うと面倒臭さの方が先にたち、結果的に汗臭くなるという日々を繰り返してきていたのだ。緊急事態宣言も解除されたし、毎日外に出ていく日々の復活も近いことだろう(そう願いたい)から、新しい入浴の習慣を確立していこうと思う。

 

いよいよ現住所からの退去までのカウントダウンが10を切るまでになった。不要品の処理も本格化。最高権力者様の楽器に始まり、二つの本棚やら、食器棚やら大物が明日、明後日の両日でバシバシ消えていく事になる。本日は、おそらく食器棚の整理に一日追われることになりそうだ。

実際に現在使っているモノだし、まだまだ全然使用には耐えうるモノだとも思うので、捨ててしまうのはもったいないという感情は依然として心の片隅には存在してはいるのだが、新居にはたっぷりとした収納機能が作りつけてあるので全く必要ないモノたちなのだ。まだ使えるものを、それも金まで払って捨てるというのは断腸の思いではあるのだが、今まで読んできた数々の書籍たちにも書かれていた通り、こうした「モノたちに囚われるエネルギーの方がもったいない」と考えを切り替え、断捨離を断行する。

 

捨てきれなかったり、判断を先送りにした小物たちはまだまだたくさんあるが、移住先の自治体は、面倒な手続きがいらない上、無料で引き取ってもくれるので、最終判断は転居してからということになる。向こうでも捨てるものは山となって出てきそうではある(苦笑)。

 

ここ数日、会社の方の仕事が急にややこしいことになってきた。7月くらいから、新しい業務が一つ増えたのだが、取引先が絡んでくるその業務をめぐり、今月中になんとかしなければ、という案件が持ち上がったのだ。

 

とはいえ、私は今週の後半から月末までは休む。これは年初には宣言しておいたことであり、休暇に合わせて引っ越しの段取りも組んであるので動かしようがない。

 

合間合間に勤務を行うという滅私奉公の気持ちもないわけではないが、多分気持ちが仕事モードにはなりきれないだろうから、却って混乱に拍車をかけそうな気もする。前任者がまだ同じ部署に在籍中なので、結局この方に頼むしかないのだが、腐り脳筋弱り毛根バカとは真逆のいい方なので気が引ける依頼ではある。まあ、段取りをしっかりとつけた上で、作業レベルにまで落とし込んで頼んでおくしかない。復帰時には特別なお土産でも用意しておくことにしよう(笑)。

努力したらしただけ見返りがあったという幸福な物語 『明治・父・アメリカ』読後感

 

「ショート・ショートの神様」の異名を持ち、その生涯で1000編をはるかに超える作品を世に出したSF作家星新一氏の数少ないノンフィクション作品。星氏の実父であり、星製薬の創業者にして星薬科大学創立者でもある星一氏が、アメリカで悪戦苦闘した時代を描いた一作である。

 

私に読書の楽しさを教えてくれたのは北杜夫氏であるが、読書の習慣化を促してくれたのは星新一氏のショート・ショートたちだった。一つ一つのストーリーが短く、次から次へと新しい世界を目の前に見せてくれ、その全てに見事な起承転結があった星氏の作品に中学時代の私は傾倒した。星氏の作品をきっかけに、他のSF作家にふれ、そこからまた純文学やエンターテインメント文学一般へと世界が広がっていった。そして、一人の活字中毒者が誕生して四十年余り。

 

あの日、あの時北氏と星氏(なお、このお二人は私生活上で親交があったとのことだ。北氏のエッセイには何度か登場したという記憶はあるが、辻邦夫氏や宮脇俊三氏ほどの濃密な関係性は感じなかった)の作品に出会わなかったら、今の私はおそらくただのおデブで、生活習慣病を拗らせた挙句にコロナウイルスを拾って死んでしまっていたに違いない(苦笑)。読書の楽しさを知らなければ、知的好奇心は育たなかっただろうし、そうなれば、勉強しようなどという気にもならず、おそらくは「進学校」にいくこともなく、そこの体育の時間にラグビーに出会うこともなかっただろうからだ。

 

自分語りが長くなってしまったが、作品の紹介に移ろう。

 

星一氏は福島の寒村に生まれた。詳しい内容は本文に譲りたいが、一氏の父は複雑な過程を経て、一氏の生家に婿入りしてきたらしい。一氏は長男だったが、生家には別にすでに跡取りがおり、生家を差配するという権利はなかった。ただし、その分自由に動けたし、自立のためには学問が必要だということで学校に通うことができた。

 

この学問上の繋がりから、一氏は当時はまだ到底対等の関係とはいえなかった大国アメリカへ渡航することになる。当時のアメリカには、数は少ないながらも、一山当てようとした日本人たちがいたようだが、働く口は単純労働か、裕福な家庭の雑役夫くらいしかなく、およそ「出世」には程遠い環境だったようだ。

 

一氏は一所懸命雑役夫の仕事に取り組むのだが、生真面目な仕事ぶりは彼の地のこの時代では「のろま」とみなされることが多かったようで、行く家、行く家、すぐにクビになってしまったそうだ。

 

ここで挫けないのが一氏の最大の長所。生活費を得るために働かなければならないが、さりとて雑役夫を「本業」にしてしまったのではいつまで経っても底辺の生活からは抜け出せない。そこで、雑役夫の賃金を最低限度まで自ら引き下げる代わりに、勉強する時間を確保させておしいと、雇い入れた家の主人に頼み込み、努力を続けたのだ。

 

なんだか、この辺、昨今の日本に来ている技能実習生の姿にカブってしまった。当時のアメリカ人は、日本人を含めたアジアの人々を体良く奴隷扱いしていただけだ。今の日本の中小零細企業技能実習生を単なる人件費抑制策としてしか考えていないように。

 

怒りと絶望の中で、昨今の技能実習生は、近所の農家から豚や鶏を盗んでバーベキューパーティーを開いたりしてしまうようだが、一氏の周辺にもその日暮らしから抜けられない人間は多々いたようだ。そこで転落する人間と、のし上がっていく人間との違いは、這い上がる道はどこにあるのかを見定め、努力を続けて行けるか否かだ。努力が実を結ぶとは限らないが、努力を続けないことには成功の可能性は0%のままだ。まあ、これは人生のどんな場面においても当てはまることではあるが…。

 

一氏は勉学に励んでビジネスの知識を身につけ、さまざまな職を経験していく過程で日米ともに人脈を築き、日米間の情報を交流させるための通信社を設立し、その経営に腐心する。そして、経営を軌道に乗せて、友人に譲渡し、日本に戻ってくるところで、唐突にストーリーが終わってしまう。日本に戻った後に星製薬や星薬科大学のお話が始まるわけで、その辺のお話もぜひ読んでみたかったのだが、新一氏にとっては望んだ道ではない上に、経営に散々苦労させられた星製薬に関してはあまり思い出したくない話題のようだ。

 

大国への道を歩み始めたアメリカ、長い鎖国から国際舞台に飛び出した日本、そしてその狭間でさまざまに揺れ動く当時の日本の青年たち、それぞれの「青春時代」を感じられた一作であったように思う。

 

 

 

支離鬱々日記Vol.123(不要品処分あれこれ3とあといくつかのこと)

news.yahoo.co.jp

 

白鵬がついに引退するそうだ。これほど好悪がはっきりと二分された横綱も珍しいだろう。

 

好ましいという感情を持ち合わせている方は、圧倒的な実績をその拠り所にする。幕内勝利数1093、横綱としての勝利数899、横綱在位84場所、、優勝回数45はいずれも歴代最多。改めて偉大な数字であり、強い力士であったと実感できる数字だ。

 

好ましくないという感情の持ち主の批判の最たるものは、いわゆる「横綱の品格」問題だろう。禁じ手ではないものの、ダーティーな部分に属するかちあげや張り手を多用する取り口やこれ見よがしのガッツポーズ、優勝インタビューの場での慣例無視等々。強けりゃ何やったっていいもんじゃないよ、ってのが言い分になるだろう。

 

私自身はどちらかと言うと後者の立場だ。そのことは、6年前に当時関脇の栃煌山との取り組みに際し、二度も猫だましという奇手を用いたことについてのブログに書いた。興味のある向きは是非ともご一読願いたい。ちょっとしたニュースサイトにも取り上げられた文章でもある。

ameblo.jp

 

やっぱり横綱は高潔な人格者であってほしい。北の湖みたいにそれこそ憎々しいまでに強くても、土俵の内外での立居振る舞いがきちんとしていたことで悪者にならなかった方だっている。北の湖白鵬も、怪我による長期休場の後に全勝優勝を遂げ、同時にそれが最後の優勝になったことは共通している。北の湖は最後の最後まで正統派の相撲を取り切って全勝優勝したが、白鵬は俵スレスレの場所から仕切ってみたり、かちあげエルボースマッシュを見せたりといった実に痛々しい勝ち方での全勝優勝だった。勝負に生きるものゆえ、勝ちにこだわる気持ちはわかるが…、とはいえ奇襲攻撃を仕掛ける横綱にはやはり違和感を感じざるを得ない。どれだけ勝ち星を上げても史上最強の「大横綱」として認めない日本社会に対しての精一杯の白鵬なりの反抗だということも理解はできるが、そうしたやりきれなさをも飲み込むのが、神たる横綱の使命であると、私は考える。何はともあれ、お疲れ様でした。今後はご自身に浴びせられたバッシングを反面教師として、出身国に関係なく、日本人の誰もが認めざるを得ないような横綱の育成に携わっていただきたい。

 

先日、見慣れぬ電話番号から着信があった。市外局番だけは見慣れた郷里のものだったので、新居関係のことか?母親のことか?と思いながら出てみると、果たして「見回りサービス」の運営団体からだった。

「お母様の行動が12時間以上確認できないために電話しました。ご自宅にも携帯にも電話しましたがお出になりません」とのこと。見回りサービスのセンサーを導入する際に「12時間以上不在になる際にはスイッチを切っておくこと」と申し伝え、玄関には「スイッチは切りましたか?」という大きなシールまで貼ってあるというのに…。どうせ、どこか知り合いの家で油売ってるんだろうな、とは思ったが、出先で事故などに遭ってしまって人事不省に陥っているなどという事態だって考えられる。少々不安な気持ちで携帯に電話をかけてみた。

 

1回目、出ない。2回目、出ない。3回目、やっぱり出ない。携帯を身近なところに置いていないだけだった、などと言うオチがつくんだろうなという思いも心の片隅をよぎったものの、場合が場合だけに、おいおい、ちょっとやばいかも、と思い始めた刹那、母親から入電。

 

ほっとしたのも束の間、今度はこちらには向こうの声は聞こえていても向こうにはこちらの声が聞こえていないという状態のようだ。「何、出ないじゃない」という捨て台詞とともに電話は切れた。口調も声も母親のものに間違いはなかったので安心すると同時に、少々イラついた。まったく、「何、出ないじゃない」じゃねーよ。こっちは何度電話したと思ってんだ。

 

再度入電。今度も同じ状況でこっちの声は届いていないようだったが、側に別の方がいて、音量のキーをうまく調節してくれたので、ようやく「普通」の電話の会話になった。

 

聞いてみたら、やはり12時間以上前に、スイッチのことなんぞころっと忘れて外出したきりだとのこと。やれやれ、一安心。「外出が長くなりそうな時は必ずスイッチを切ってから出かけなさいよ。スイッチ切っておいても、帰ってくりゃ自動的にスイッチ入るんだから」と、なるべく穏やかな口調で諭しはしたが、どこまで通じていることやら。まあ、半月後にはこんなことがありゃすぐに駆けつけられる距離に引っ越すからいいんだけど。

 

先日、そもそも粗大ゴミで出すと決めていた不要品の数々をリサイクルセンターに持ち込んできた。解体したり、小さな車体ギリギリの大きなモノを積み込むのには少々手間取ったが、持ち込みそのものは、ものの5分で終了。費用も安いし、大抵のモノは引き取ってくれる。おかげで部屋の中がずいぶん片付き、何もないスペースが広がった。とはいえ、すぐに荷出し用の段ボールに占拠されてしまい、モノが置いてある前よりも狭くなってしまったが(笑)。

にしても、つくづくと不要のモノに囲まれた生活をしてたんだということを実感した。なきゃないで済むものは今後は一切増やさない。大して使いもしないものを収納しておくための家具なんぞはダブルの無駄だ。今後は一つ買うなら一つ捨てるを徹底していこうと思う。とかいいながら、買い物に出かけちゃ、衝動買いを繰り返してしまうのは目に見えているのだが(苦笑)

江戸の名残にど真ん中のガイドブックを読んでみた 『日本橋異聞』読後感(再読)

 

作家にして、当代きっての博物学荒俣宏氏が、江戸の風情を残しながらも変容し続ける日本橋界隈に関しての蘊蓄を傾けた一冊。本棚の本を箱詰めしている最中に、「都合二十年以上も住んだお江戸ともついにお別れか…」などという感慨に囚われてしまったため、「衝動読み」。

 

読んでいて、「あれ、この話どこかで聞いた覚えがあるぞ」という想いが何度かよぎったのだが、荒俣氏は著作も多く、メディアへの露出も多いため、例えば『アド街ック天国』みたいな番組のコメントで聞いたんだろうとそのまま通読し、確認の意味で、自分のブログの過去ログを検索してみたら、案の定すでに読んでいた。私の脳も母に負けず劣らずの速度で劣化しているようだ(苦笑)。参考のために全文を載せておく。

 

”博覧強記の博物学荒俣宏氏による、日本橋界隈のトリビア本。

水天宮駅のすぐ前に位置する「ロイヤル・パーク・ホテル」の館内誌に書かれたエッセイに加筆補正して一冊にまとめたものです。

人形町や水天宮、日本橋近辺の様々な見所を紹介するガイドブックの趣を保ちながら、そこここにあるメジャーな名所旧跡から見過ごしてしまいそうなホンの小さな路地裏に至るまで、氏の博覧強記ぶりが遺憾なく発揮されている一冊です。

当家は人形町のファンで、人形焼きはもとより、魚久の粕漬けや柳屋の鯛やきなどをこよなく愛好しております。この本を読んだお陰で、人形町の風情、というか江戸の気風を残す街の雰囲気の訳が何となく解ったような気がしました。

人形師の辻村ジュサブロー氏の工房や、江戸時代から続く柳行李の老舗など、伝統あるものが色々な場所に息づいているからなんですね。

その他、水天宮を始めとする七福神の由来やら、丸善高島屋のコンセプトの違いやら。読み終わってすぐに日本橋界隈をブラつきたくなったほどの読み応えあるガイドブックでした。

荒俣氏の著作ってのは何を読んでも本当にためになります。ますます憧れちゃうなぁ^^。"

 

この駄文を書いたのはブログを始めてほどない頃なので、誠に文章が拙い。まあ、今だって大した文章は書いていないが(笑)。内容に関して間違ったことは書いていないが味も素っ気もない読書感想文だ。市とか県とかのレベルの読書感想文コンクールであれば、小学生だってもっと気の利いた文章を書くだろう。

 

閑話休題

 

繰り返しになるが、この一冊は、水天宮そばのシティーホテルの館内で配布されている小冊子に掲載されたコラムを集め、一部に加筆・改訂を加えたもの。荒俣氏一流の該博な知識に、独特の考察を加えた「地誌学書」でありながら、同時にホテルに泊まった客に、せっかくだからちょっと近所をぶらついてみようか、という気分を催させるような気軽な読み物ともなっている。

 

特に人形町界隈は名所・名店揃いで、ガイドブックやらネット上の情報などもそれこそ溢れかえっているが、荒俣氏のコラムは表面上をなぞるだけではなく、江戸が都になる以前からの土地の状況から、都となり人口が集中した後の、「町」としての成り立ちや盛衰、明治大正昭和と変遷した時代毎の町の様相を簡潔にして味わい深い文章で綴っている。その中に「町」と「丁」の違いや、人々が呼び慣わした「通称」がいつの間にか正式な名称となった「人形町」の地名の由来などが、さりげなく盛り込まれているところが、いかにも荒俣氏らしい。

 

個々のコラムについては是非とも本文を味わっていただきたい。読み終える頃には、少なくとも「東京初心者」に対しては十分に大きな顔ができる程度の知識は身についているはずだ。

 

昨今のコロナ禍で、まだまだ街歩きを楽しめる時期は先のことになりそうだが、コロナ以前の日常が戻った暁には、今度は旅行者として日本橋界隈を訪ね、この本に書かれている町の姿を「実体験」してみたいものだ。例えばイタリアのフィレンツェに匹敵するような、歩き回り甲斐のある町であるに違いないし、この書の上梓以降に起こった変化を感じてみるのも興味深い。ついでに言うと、私が生きているうちに、高速道路に覆われていない「日本橋」も見てみたい。

支離鬱々日記Vol.122(不要品処分あれこれ2 ギブアップ)

シルバーウィーク後半戦は9/24(金)に休みを取ったので4連休。引越し業者からは荷造り用の段ボール箱が100枚届いたので、9/23から本格的に荷造り開始。

 

まずは不要品として処分しようと思っている本棚の整理から。私は本好き、最高権力者様も読んだ本は取っておく派なので、まあ、かなりの量になった。中型段ボールにして20箱超。これでも断捨離を意識するようになってから随分売り払ったし、電子書籍化されたものは極力そっちで買うことにしているので、量は抑えたつもりではあったのだが、現実は重いし、物体としての本も重い。詰め込んだ箱をあっちにやったりこっちにやったりで、少々腰も痛い。

 

次は服。やはり処分することにしたシェルフラックをひっくり返したら、知らぬ間に溜まっていた、レプリカジャージの類がまあ、出てくること出てくること。改めて、軽度ではあるが、買い物依存症に罹患していることに直面させられた。トレーニングやウォーキングの際に着倒して、一枚一枚「着潰して」いったとしても、おそらくはもう一生分のストックに達しているだろう。ここ数ヶ月、気分の落ち着かない時は、ついついアマゾンで「ラグビージャージ」を検索してみたり、各ラグビーショップサイトのバーゲン商品なんかをみてしまい、いくつかは買い求めもしたのだが、今後は買いたい気持ちが起こったら、まずこのストックの山を見にいくことにしよう(笑)。今までは衣替えの関係もあってストックの半分は目にすることができなかったが、今後は一目瞭然だ。

 

さて、肝心の不要品の処理について。

 

1つ目の業者には写真を送った時点で断られ、二つ目の業者からは「買えるモノはなく全て処分」とされて一週間、三つ目の業者が見積もりにやってきた。

 

結果から言うと、全て処分。うーん。せめてワードローブと小型の食器棚くらいは売り物になるのではないかと、淡い期待を抱いてはいたのだが、使用年数が長いことが理由で全て処分する以外にないという結論になってしまった。三つ目の業者氏が唯一食指を動かしたのは、まだ、真っ当な家具店であった大塚家具で買い求めたアンティークのリビングボードのみ。これは流石に当家としても手放すつもりはない。「売る気になったらいつでも連絡ください」と、笑顔の業者氏。少なくとも貴社に売ることはほぼ不可能。遠い土地へ越してしまうんだからね(笑)。

 

それにしてもプロの目は確かだ。高級品であるリビングボードを一発で見抜いたこともさることながら、先ほど大量のレプリカジャージを収納していたと書いたシェルフラックなど、一瞥しただけで「あ、これはイケアさんのやつですね。買取は無理です」との言。まあ、イケアのやつなんかは世に大量に流布しているから見慣れたもんなんだろうけど。

 

都合三つの業者に見積もってもらい、流石の当家もギブアップ。見積もり的には三つ目の業者のものが一番安かったので、処分をお願いすることにした。

 

閑話休題

 

モノに買値がつかないというだけのことで、悲しい気持ちになってしまうのは何故だろう?自分が選んだ品に魅力がないと言われてしまったと感じるからか?まだ使えるのに、という気持ちが沸き上がってくるからか?捨てるのにかかる費用が馬鹿らしいからか?

 

これらの気持ちが全てごっちゃになったための落ち込みだと理解し、一つ一つの気持ちに折り合いをつけていくしかない。

 

使っていた当人たちにしてみれば「愛着」と言う名の思い出やら思い入れが付与された物品ではあるのだが、他人にすればそんなものは全く関係ない。純粋にモノとして魅力があるか否かがその品の市場価値だ。その上、買ってからかなりの時間が経ってしまっている。流行の移り変わりってやつだって無視できないし、安い新品の家具だって市場には大量に存在する。今まで使っていた品には、こっちが勝手に愛情らしきものを感じていただけなのだからそんな気持ちは捨ててしまうに限る。そうそう簡単なお話ではないけどね。

 

まだ使えるのにもったいないと言う気持ちは気持ちとして大事なものだとは思うが、これはその品物は「使い切った」のだと思い切るしかない。家具の類は、大事に使えばそれこそ一生ものではあるが、例えば二十年も使っていれば、減価償却の観点から考えても、もう使用物としての価値は無くなっていると割り切れる。当家の今回の処分対象品の大半は結婚当時に買い求めたものなのだから、もう使い切ったのだ。繰り返しになるが、思い入れは心の中にだけ取っておくしかない。

 

捨てるのに費用がかかってしまうというのも、そういうシステムなのだと割り切るしかない。例えば「ジモティー」みたいなアプリを利用して、「ただでくれてやるから取りに来い」という通知を出すという手もあるが、正直言って面倒くさい。引っ越していくとはいえ、見ず知らずの他人の来訪を受けるのはあまり気分のいいお話でもない。ならば「お金の関係」に終着させてしまえばいいではないか。

 

荷物を整理しながら、気持ちも整理した。新しい生活を始めるにあたっては、古い生活の残滓はなるべく少ない方がいい。どうしても持って行かざるを得ない残滓は、新居で徐々に処分していき、その後は必要なものを必要な時に手にいれ、いらなくなったら手放す、という生活にチェンジしていく予定である。一気にミニマリストにまで走ろうとは思わないが、モノが多いというのはそれだけノイズの多い生活になることを意味する。自分がやりたいことに特化した生活を送るためにも、いらないモノはどんどん手放すという気持ちを行動の根本に置きたいと思う。